藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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宗教はどこへ行くのか
レイキ使いになるとは、修験道でいう験力を身につけることと同じである。
つまり、私を含むレイキ使いは全然修行をしていないにも関わらず験力を
使えてしまうわけだ。誰でもレイキを使えてしまうと、激しい修行を重ね
なければ験力を使えない時代ではなくなってしまう。

ここで宗教の役割ってなんだろう、と考えてみる。レイキの普及は宗教の
本質的役割のひとつである祈祷の個人化をもたらす。験力を身につけた
修験者や占師にお願いするのではなく、個人で自らを本来向かうべき方向に
導けるようになった時、寺社の大伽らんはその宗教的意義を失う。荘厳な
建物は「だから何?」と言われてしまうのだ。

個人が自らが神であることを悟るようになった時、宗教は何らかの変容を
迫られるのではないだろうか。絶対的存在というよりは、神である個人の
統合の象徴として、あるいは自らの霊性を高める場所としてその役割を
果たすことになるのではないだろうか。

既にその役割を果たしている場所として奈良県天川村の天河神社を挙げたい。
神道の形を取ってはいるが、宗教の枠を超えてあらゆる宗教の人が訪れ、
共に礼拝する場所として存在している。個人の単位で人が霊性を高め始めた
現在、その受け皿として宗教は絶対的な存在から個人が集合して霊性を
高める場へと、その意義を変容させるのではないだろうか。
| SHO | 修験道 | 05:17 | comments(0) | - |

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