藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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気づいたこと・いくつか
最近、気づいたことがある。
ずっと、日本一周が終わったら何を「許可」しようとしているのかと考えていたのだけれど、
ひとつはおそらく結婚に関わることだろう。日本一周が終わったらギアチェンジして別種の
夢にもチャレンジしたい、というのは、具体的なものは他にもあるかもしれないけれど、
ひとつはおそらく、日本一周が終わったら私は結婚したいし、自分に「結婚してもいい」と
許可を出せる、ということだ。新しい家族を作る、ということにも当然チャレンジしたい。
なぜ日本一周が青春時代の総決算なのかと考えると、独身時代の最後を締める大チャレンジで、
従来の旅というか人生を締めくくる旅だからだ。だから、今回はあまり旅先でロングステイを
する気が起きない(実際にやってみると違うかもしれないけれど)のだ。

そして、私のライフワークに関わるキーワードのひとつが「旅に出る」ことだということに
気づいた。考えてみると私はそういう生き方をものすごく実践していて、引っ越しの回数は
30年間に16回だか17回もしている。平均すれば2年に1回の割合で引っ越しを経験しているのだ。
山村雅康さんがその著書『人口減少時代の豊かな暮らしと仕事の場』の中で、田舎暮らしを
していて気づいたことのひとつに「いつも彷徨していたい」ということが書かれてあったの
だけれど、私はいつも旅に出ることを考えていて、でもそれはフーテンの寅さんをやりたいと
いうことではないのだ。地に足をつけた上で、時々は大きな旅をしたいのである。

日本一周が終わっても何年かに一回は大きな旅をしたい。大きな旅というのは私にとってハレの場で
あって、修行の場でもある。私が修験道に惹かれる理由のひとつは、修験道の修行のスタイルがまさに
そういうものだからだ。「山の行より里の行」と言いながらも、時々は山に入らないと山伏ではない。
「奥駈病」というものがあるけれど、いつも奥駈のことを考えて生活を管理している山伏のように、
常に旅を意識しながら地に足をつけて生活したいのだ。旅は旅だけれど、あくまでも旅でしかない。

まだ自分の中ではよく受け止められていないのだけれど、何日か前に夕方起きたら、「人生は
起こったことをそのまま受け止めればいい」という言葉が降ってきた。何のことやら分からない
のだけれど、そうやって言葉が降ってくることが最近すごく多い。だいたいそういう時は
ものすごく寝汗をかいて、でもひとつひとつ言葉が降ってくるたびに、すごく人生が楽になって
行く気がする。言葉が降ってくるたびに、心の底でなんだか安心するというか、深く納得すると
いうか、腑に落ちるというか。「あぁ、そうなのか」とすごく納得していく自分がいる。

スサノオノミコトを信仰しなさい、という天河神社のおみくじの指示は、全くその通りだろう。
今、私の左腕にはいつもスサノオノミコトの日本総本宮、日御碕神社の勾玉と五色の猫目石の
瑠璃の念珠が巻かれている。奇しくも、長野県移住を考える前に真剣に考えていた移住先は
島根県だった。偶然だけれど、偶然にしては出来すぎた展開に何かがあると納得せざるを得ない。

日本一周をして出会うのは誰だろう。きっと自分自身なのだ。行動することで自分の内側と
対峙して、外の猥雑な何かと戦うのではなく内なる自分自身の執着心と戦うことが私にとっての
旅であり、それはすなわち修行なのだ。そして引き裂かれた自我を再統合するのが私にとっての
バイク日本一周の最大の目的なのだ。そして修行だから、無計画な旅は許されないのである。
| SHO | バイク日本一周 | 19:33 | comments(0) | - |

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