藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
CALENDER
<< November 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECENT COMMENTS
+RECENT TRACKBACK
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+LINKS
+PROFILE
+OTHERS
黒が象徴するもの
バイクウェアとスキーウェアの話だけど、先に書いた記事のように私の場合はどちらも上から
下まで真っ黒である。必ずしもバイク用の服ではないものを着ていたり、スキーウェアではない
ものを着ていたりするのだけれど、いずれにしても黒。私の職場のバーテンには不良兄ちゃんが
そのまま40歳になったような人がいるのだけれど、彼のバイクも普段の服装もバイクウェアも黒。
でも私の黒と彼の黒とは何かが違うように思う。

その同僚のバイクはアメリカンバイクで、ハーレーではないけれどハーレー風に改造している。
普段の服装もかなりのおしゃれさんで、みんなアメリカ風の不良兄ちゃん風のもの。聴いている
音楽もヘビメタ。草津に同化することを頑なに拒んでいるかのようにも見える。黒瀬珂瀾を
もっとヘビメタ風にアレンジした感じ、と言えば短歌関係者には想像つくだろうか。

で、彼と私と共通しているなと感じるのは、基本的には10代の少年が憧れから逃れられないまま
そのまま大人になっているのだ。大人になれない大人だと言うのも感じる。私は30歳になっても
乗っているバイクは50ccオフロード車だし、彼はハーレー風のアメリカン。方向性は違うけれど、
彼のバイクからは彼がおそらく歩みたかっただろう空気が濃厚に伝わってくるし、私のバイクも
日本一周などの長旅を経験した人が見ればそれと分かる持ち主のオーラが漂っていることだろう。
今はまだ漂っていなくても、これからおそらく漂うようになるだろう。

彼は大人になりきれていない大人だと先に書いた。そして、それは私も同じだと。だから私は
彼の生き様に共感と違和感を抱きながらも、彼の生き様を責める気にはとてもなれない。お互いの
共通項を象徴しているのが黒であり、抱く憧れの違いを象徴しているのが原付オフロードと
アメリカンと言うバイクの車種の違いだと言えなくもない。

私には、彼の生き様に限らず、草津に働く多くの人に自分に共通したものを感じるし、本当はそれが
いいことだとは思っていない。私は彼らに共感はするけれど、同類の人間だと認めることを拒否して
いるようにも感じる。けれど、おそらく間違いなく彼らの多くには私と共通するある匂いがあるのだ。
それは「大人になれない大人」と言うことだろうか。もっとはっきり言えば「家庭を持てない大人」
だと言うことである。私は自分の中にそういう匂いがあることを認めざるを得ないし、そういう人が
自分の現在の周囲の環境に非常に多いことも認めざるを得ない。

この土地に住む大人には、宙ぶらりんの人がすごく多いのだ。そしてある年齢に達しても結婚しないで
そのまま独身で通してしまう(本意か不本意かはともかく)人もすごく多い。それは草津と言う
湯治場が醸しだす独特の雰囲気に吸い寄せられたものかもしれない。自分の中にもその空気があるのが
分かっているから余計にイライラしてしまう。この町に働く多くの人が抱える問題と同じ問題を私も
抱えているのだ。草津という町と、そこに働く人の多くが抱える構造的問題は、私自身が抱える
内面の問題でもあるのだ。

この町で働いていて、私が誰にも訊ねない、そして誰にも訊ねられたくない質問がひとつある。それは

「どうして草津に来たのか」

と言う質問だ。私の場合は湯治でこの町に住むことになったのだし、草津以外の土地に住むことは
現状の体調では社会人として生活できないからなのだけれど、それだけではない、説明しがたい
気持ちが私の中にはあるのだ。そして、それは草津に働く多くの人が内面に抱えているものでも
たぶんあるだろう。それが「宙ぶらりん」と言う言葉で象徴されるものであるように思う。

「辿りつくべき地平がないから、社会の中に自分の居場所がないから草津に住んだ」

そういう人を引き寄せるところがこの町にはある。私はそのことを激しく嫌悪しつつも、自分も
またそうであることを認めずにはいられない。大人になれていない大人はどの町にもいるだろう。
しかし、この町に住んでいると、大人になれない大人があまりにも多いように見えて仕方がない。
「大人になれない」と言う言い方は適切ではないかもしれない。もっと積極的に「大人になる
ことを拒否した大人」が非常に多いのだ。そしてもちろん、私もまたそのひとりなのだ。

結婚していないことは罪だろうか。あるいは子供を作っていないことは罪なのだろうか。ミクロな
生物としての本能で言えば、おそらく罪であることは違いないのだ。しかし、もっとマクロな視点で
地球全体から見れば、癌細胞のごとく増える人間であるよりは、そうでない人間でない人間であることは
むしろ正常な生物としての反応であるようにも見える。少子化が現実の問題として語られるように
なっているけれど、少子化が絶対に悪いことだとは私は思わない。おそらく良いも悪いもないのだ。
ある意味で極めて正常な、マクロな生物としての地球が生存維持のためにアプリケーションソフトを
自動起動させた状態なのである。

大人になれない大人とは、自分の運命に対する自分の責任を回避し続けている大人のことだ。
なぜ私の目には、草津の町とそこに働く大人の多くが大人としての責任を回避し続けているかのように
見えるのだろう。それは私自身がその大人たちそのものであることを感知しているからだ。そして
同時に私自身が本当の意味で大人になるチャンスに今立っているということでもあるのだろう。

私は今、自分自身の傷ついた魂のことについて語っている。私自身のセルフイメージがとても低い
ことも私は認めざるを得ない。そして、そこから脱出するチャンスに今立っていることも。私の中には
自分自身と他者に対する激しい怒りが隠されている。それは、時として非常に強い攻撃性を伴って
私の外側に出てくる。ほとんど外に出てくることはないけれど、見る人が見れば私の中にある強い
攻撃性に気づくことはあるだろう。でも、それを他人が解決してくれることを望んでいるうちは
きっと解決できないのだ。
| SHO | 雑談 | 16:29 | comments(0) | - |

コメント
コメントする