藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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人生と幸せと鈴木祥子について
私は、自分をどこかにたどり着いた今ですら、さらにどこかに押しやろうとする何かの正体が
分からずにいる。いや、分からずにいるんじゃなくて、その正体を見まいとしている。

今の私は幸せだろうか。おそらく幸せだろうと思う。客観的に考えて、幸せだと言わざるを
得ない。肉体的にも精神的にも健康もとりあえず取り戻して、仕事もちゃんとあって、
職場の人たちもいい人たちばかりで、これからのことを考えたければいくらでも考えられる
場所に今はいる。そして、大学時代、湯治時代と嵐のような日々をくぐりぬけて平穏な人生を
取り戻した今、私は何かをしたければ何でもできる位置にいる。

ただ、今の自分を見て無軌道だと思うのだ。私は長期的に見て、これからどんなビジョンを
持って生きていきたいんだろう。具体的に何をするかじゃなくて、どんなビジョンを見たい
のだろう。怒涛のような日々が過ぎて平穏になった今、私は自分の人生をどうやって幸せに
持って行きたいのかが分からない。今までは、そんなことを考える必要がなかった。

鈴木祥子の歌の一曲一曲が今は心に沁みこんでくる。彼女の歌はとても痛くてとても甘い。
彼女の歌を聴き続けて幸せになれるかと言われると大いに疑問なのだけれど、でも、彼女は
とても心に沁みる歌を歌ってくれる。特にライブ盤やライブDVDの歌はいい。スタジオ録音の曲
よりも、ライブ録音の方がずっと心に沁みて、同じ曲とは思えないほどいい。

30年の人生を重ねてきて、20歳の頃には思いもしなかった哀しみもたくさんあって、そういう
心の琴線に触れる歌を歌ってくれるのだ。そして、私は自分の短歌で自分の感じたことを
表現したいのだけれど、どう表現したらいいのか分からない。20歳になるずっと以前から
鈴木祥子の歌を聴いているけれど、当時から、そう言えば鈴木祥子を聴き続けて幸せになれる
なんて思っていなかったっけ。でも、当時は旅を想起させる歌、そして今は心に沁みる歌を
歌ってくれるから、私は彼女の歌が好きなんだ。もう聴き続けて14年になる。
鈴木祥子自身が複雑な事情の家庭に育った人みたいだし、彼女のファンには性格のきつい人が
多い、って話を聞いたこともある。ただの噂でしか知らないけれど、私自身のことを考えても、
きっとそうだろうなぁ、と思う。性格がきつくならざるを得ない人でなきゃ、彼女の音楽を
好きにならないよ、きっと。彼女と目線が同じ人じゃないと、コアなファンにはならないものね。
かつて鈴木祥子と私の中での人気を二分していた歌手、岡村孝子の今の音楽を私が嫌いなのは、
彼女が途中からハッピーハッピー路線に走って、全く共感できなくなったからだ。

私の心の中にはともすれば落ちそうになる、とても深い深い暗黒の淵があって、いつもそれは
「おいでおいで」と私を誘っている。人生を破壊しかねない(ってよりも、今まで何度も人生を
破壊してきた)それはとても強力な引力を持っていて、鈴木祥子の歌にもそれと似たようなものを
感じる。私は、きっと自分の人生をどこまでも破壊したい願望を無意識のうちに持っている。
平穏な人生になったかと思うと、わざわざそれを破壊してしまうのだ。破壊してしまったら
すぐにまた平穏な人生にあこがれるくせに。まるで、平穏で幸せな人生(って考えるだけで
身の毛がよだつのだけれど)を拒否するかのように。

私は、なぜ平穏で幸せな人生に至ると、それを破壊したくなるのだろう。「幸せな家族」
とか「平穏な家庭」とか「幸せな人生」というものを知らないから、だろうか。私は自分が
どうやったら幸せなのか、どうやったら幸せになれるのか見当がつかない。幸せになったかと
思うと、それを自分で破壊したくなるのだ。

私は、自分で自分に幸せになることを許可していないんだろうか?何をしている時が私は
幸せなんだろう?スキーをしているとき?それとも旅をしているとき?自然と自分が一体に
なったような感触を得ているとき?そのいずれも答えはYesだ。

就職するときに私は恐ろしくなった。「幸せ恐怖症」なのだと今は思う。今、山陰に旅行を
計画しても、それを実行するのが怖い、ってことは、きっとその旅行は私にとってやりたい
もので、きっと幸せな旅行になると予感しているのだろう。だからこそ、私はその旅行を
止めよう、避けようとしているのだ。もちろん経済的な負担が大きいと言う事情もあるけれど。
| SHO | 音楽 | 15:22 | comments(2) | - |

コメント
不安に陥る人の多くは、
(中略)
幸福になったら何か悪いことが起こる
幸福になったら自分の立場が弱くなる、愛されなくなる
と感じているので、
良いことを決して受け取ろうとしないのです。
逆に、少しでも悪いことがあると
なぜか率先して受け取りに行って、自分の髪や服に飾ろうとします。
「こんなにかわいそうな私だから
どうかいじめないで、やさしくして、できれば尊敬して」
といっているように見えることもあります。

これは、たまたま今日、目にした文章です。
関係なかったら、ごめんなさいね。
いや、繋がってるんかな、と勝手に思ったので。

最近の私は、来たものには、とりあえず乗ることにしてます。
それに乗ったことの意味は、まだ判りませんが、いつか、あーそういうことか、と判ればいいな、と思ってます。

山陰。
鳥取砂丘に行って、それから意味なく米子まで行きました、本当に意味なく、すぐさまUターン。
西村さん、どうか素敵な旅を。
その旅を手にする時期が来たのかもしれませんね。
(いや、勝手にそう思ったので・・・。)
| ナンプラー | 2006/02/11 6:28 PM |

こんにちは。大変遅くなりましてすみません。
山陰への旅行は楽しかったです。思わぬ発見と言うか、いろんな点で
11月のの天河・吉野行きから一続きにつながった旅でありました。
| にしむら | 2006/02/27 9:28 AM |

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