藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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僕の人間不信
世界に一つだけの花
世界に一つだけの花
SMAP

僕の生きる道 DVD-BOX (デジパック仕様セット)
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昔の彼女のご家族が倒れたので、お見舞いの花を贈った。私はそのご家族の方もよく知って
いるので、知らせを元彼女から聞いた瞬間、心臓が止まるかと思うほど驚いた。考えるだけで
胸が苦しく、息ができないほどだ。

花を贈ったのと同時に元彼女にも励ましの手紙を書いて速達で送ったのだけれど、手紙を読んで
どんな感じがするのだろう。「手紙読みました。ありがとう」と言う短いメールは携帯にもらった
けれど、励ましの手紙を書きながら全く何の邪心もなかっただろうか、と考えると、間違いなく
何らかの邪心は私の中にある。そのことを考えた時に、自分で気づいたことがあった。

リアクションを想像したときに、私はとても不安になった。たしかに私もいろいろ悪いところや
邪心を併せ持っているけれど、本当に心を痛めて花や手紙を送ったのに、こちらの誠意と言うか
気持ちは信用してもらえないかもしれないなぁ、と思ったからだ。つまり、私は元彼女に
信用されるに値しない人間なのかなぁ、と自分で自分に対して思ったのだ。

私は長らく強度の人間不信だった。そして、元彼女もまた強度の人間不信だったなぁ、と最近思う。
同じ視線の人同士しか出会わない、と言うのは本当のことだ。どういうわけか、私は代々人間不信の
女性ばっかり選んでいたし、それは私自身が人間不信だったからだと言うことに深く合点がいったのだ。

お互いに深く傷ついた経験のある者同士だったけれど、お互いに、お互いにかけられた呪いめいた
ものを解除する方法を知らなかった。そして、残念ながら解除するキーは自分自身の中にある。
自分がカラクリに気づいてキーを自ら解除しない限り、最終的には人間不信は解除できないのだ。
なぜなら、人間不信の人間は人間不信に陥った痛手の記憶があるのと同時に、その記憶を
自ら積極的に補強して「人間不信であろう」としてしまうからだ。

心の中にかけているメガネを替えないと人間不信は解除できないのである。現状の私でできる
最大限の解除キーは送った。元彼女も、いつか自ら気づいてキーを解除する力があるし、その日が
必ず来ると私は信じている。私自身が解除しつつあるのだから。
なぜ私は人間不信だったのだろう。私は、自分自身が「私は人に信用されるに値しない」と
自分に対して思っていたからだ。「私は元彼女に信用されるに値するのだろうか」と考えた時点で、
それは今もまだ完全には解除されていない。それでも、少しずつ解除されつつあるから自分を
鎧っていた構造に気づくことができたのだけれど。

自分自身を信用していない、と言うことは人生そのものを信頼することができないし、逆に
人生そのものを信頼していないと自分を信用することもできない。「自分には○×ができる」
と深層意識が信用していないのに叶う夢などあるだろうか。仮に叶っても早晩手放さざるを
得なくなるだろう。私が船乗りを辞めざるを得なかったように。

もっとも、自信というものは実践を通して初めて身につくもので、私の場合は就職したことが
解除に加速度をかけつつあると言える。長い間、他の人と同じことができない、と言う状態が
続いていた私は(大学時代は勉強ができなかったし、大学を休学してからは交通事故に遭って
今なお残る後遺症があったり、アトピーが悪化したりして、体調そのものが人並みに働ける状態に
なかったのだ)、自分に対する信頼をすっかり失っていたのだ。つまり、自分の人生を自ら
切り開く元手になる、最低限必要なほどの自信も失っていたのだ。

何が変わったかと思うと、何か自分の欠点とかダメな部分を見つけたときに自分の全人格まで
否定することがなくなった。「こういうところは、気をつけた方がいいな」ということは思うけど、
それで全人格を否定するような言葉は決して思わない。そんなことは断じてない。自分にそう
思うようになって、他人に対しても全人格を否定することは少なくなったように感じる。何かを
見つけたとしても「この人がこうなったのは、そうなるしかなかった事情が何かあるんだ」と
腹が立とうが何だろうがいったん認めることにしたのだ。それは自分に対しても同じだ。

だいたいは、人の強烈な弱点というのは何かしら「そりゃあ辛かったね。そうなるしかなかったよね」
と共感するような事情がある。だから、本人はそうなるしかなかったのだ、と思わず抱きしめたくなる
ような事情があるのが普通である。私だって、今の自分になるしかない辛い事情があったのだ。
どんな事情かはその人によって違うけれども。

このブログを書きながら、私にとって大切なある友人のことを思っている。今、ブログを書きながら
聞いているのはSMAPの『世界に一つだけの花』なのだけど(楽曲提供者の槇原敬之もカバーしていて、
そちらもおすすめ)、この曲がテーマ曲だったドラマ『僕の生きる道』のDVD BOXを「見ろ」と
貸してくれて、当時住んでいた仙台の部屋で泣きながらドラマを全話見たことがあったっけ。
私がドラマを見ることそのものが珍しいのに、ワンワン泣きながら最後まで見たなんて
後にも先にもこの時だけだ。

あの頃、私は生きていることそのものが辛くて仕方なかったのだ。いつの日か身体が治って社会人に
完全復帰できる日が来るなんて思わなかったし、今の大学をたとえ卒業できなくても幸せに生きて
いける方法があるなんて思いもしなかった。海運業界を離れて生きていけるとも思わなかった。
全てはわずか2年前の話である。

なぜその話が出てきたかと言うと、彼から借りっぱなしになっている本の中に岩月謙司の
『女は男のどこを見ているか(ちくま新書)』があって、一昨日の夕方に実家に帰る電車の中で
元彼女に送った手紙のことを考えながらその本を読んでいた時に、自分を鎧っていた人間不信の
カラクリにハッと気づいたのだ。自分自身を信じられないから他人を信じられないのだと。
| SHO | 雑談 | 04:35 | comments(0) | - |

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