藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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ミッションと大きな手
人生のミッションって何だろう、って話がある。

BAR ANGEROSESの最新記事によると、

多くの人は、自分の人生のミッションをみつけたいと言いながら、
実際にみつかりそうになってくると、ミッションがみつかることに
おそれを抱きはじめるということです。


のだそうだ。そういえば、本田健の『きっと、よくなる!』に、「実行することを非常に怖れている
(けど、回りから見ると「なんでこの人は怖れているの?」と思うような)こと」がその人のライフ
ワークに近いことが多いって話が書いてあった(内容はうろ覚えですが)。怖くてドキドキすることと、
本当にワクワクすることとは実は非常に近い関係にある、と言う話もあった。

私は、人が相手の仕事がどうも向いているのだろうか。まだ過程の途中だから分からないことがたくさん
あるけれど、今回の就職は私が「あっちに行く!」と決めたわけじゃなかった。でも、就職が決まった
とたんに「まずは、この道で一人前になろう」と考えが変わったのだから、そうなのかな。もう、次は
実際にこの仕事に就いてから考えていく時期に来ているだろう。

私の父は、今の仕事がどうやら天職みたいだ。天職と言うのは職業のことではなくライフスタイルの
ことである、と読んだことがあるけれど、彼の今の仕事はコミュニケーション・スキルの専門家。彼が
今の仕事に就いていることには、非常に大きな意味と課題があるなぁ、と息子は思っている。たぶん、
息子が接客業に就くことになったのは、この父の息子であることを考えると、きっと大きな意味が
あるのだろう。自分が思っていたのとは違う方向へ、何か大きな手で軌道修正されたような感じが私は
しているからだ。
「工学研究者の方向に進むのは間違ってますよ」と言われているようで、だから大きな手は私に重度の
アトピー性皮膚炎を起こし、接客業務しか産業のない町での療養生活を余儀なくさせたのかもしれない。
草津の町で湯治上がりの人が正社員の仕事に就きたかったら、旅館やホテルでの仕事しかないのである。

私がこれからどのようにキャリアを積み上げていくのかは分からないけれど、私たち父子の職業に
共通しているのは、どちらもコミュニケーション能力を売りにする仕事だと言うこと。親子で同じ
エッセンスを必要とする仕事に就くということは、私にとってこの仕事に就くことは重要な意味を
持つのではないだろうか。親子でつながる血のようなものがあるとしたら、そういうものだろうと
言う感じがしている。

昨日の記事に書いているように、私の両親は共依存体質であり、本人にはその自覚がない。それが
天職としてコミュニケーション・スキルの専門家である、と言うところにパラドックスがあるのだ
けれど、つまり、私の父にとってこの世で学ぶべきことはコミュニケーション・スキルに関わる
ことであり、それは私についても似たようなことが言えるのではないだろうか。父について話を
したけれど、現時点では、父よりもむしろ母の家族間コミュニケーション能力に非常に大きな問題が
あるように見える。父についてはこの仕事に就いて相当の改善が見られるからだ。

私は自分自身のコミュニケーション能力に一定の問題があることを知っているし、それが接客業に
就いて大丈夫なのか?と言うことも思う。私がこの世で学ぶべきことが、父がこの世で学ぶべきことに
関連する周辺領域であったとしても、それは自然のことだろう。コミュニケーション不全の家庭で
私は育ったのだから。「この世で学ぶべきこと」が人生のミッションなのだろうか?

私は家族で外食したり旅行に行ったりするのが大嫌いだ。それが旅館で接客業か…と思うと愕然と
するのだけれど、なぜ外食したり旅行に行ったりするのが嫌いかと言うと、家族とそういう場所に
行ってもちっとも私は楽しくないから。旅先やレストランで親が怒ったり、あるいはその時は楽しく
終わっても、帰宅してからブツブツ、ネチネチと小言を言われたりすると白けてしまう。どんなに
おいしい食事をしても、後で小言を言われることを考えながら食べる食事がおいしいわけがない。

あぁ、私も子供ができたら、親が私にしたように小言を言って場の雰囲気を壊してしまうんだろうか。
私自身が自分の心を癒して共依存体質から脱出しないと、そうなる可能性は十分にある。そのことを
思うと、いくら自分で自分の心を癒そうと思っていても「なんでこの親の子に生まれちゃったかな」
と思ってしまう。

親の小言が嫌だから家族旅行も外食もしない、と言うのが子供の対応だと言うことは分かっている。
でも、できれば悪い波動の発生が予測される場所に近寄りたくない、と言うのは思うでしょ?私は
いつも幸せになりたいし、悪い波動を受けたときに自分の中でニュートラルな状態に戻すことが
私にとってはまだ難しい。身構えて帰省するから問題が起こるのか、帰省すると問題が起こるから
身構えて帰るのかは分からないけれど、あんまり私は実家に帰りたくないのである。

家族とおいしいレストランに行くよりも、友人と安い居酒屋であんまり高くないメニューを選んで
食べたり、あるいはひとりで蕎麦屋に入って天ぷら蕎麦を食べながら日本酒を飲んでいる方が
私は好きである。そういえば、大晦日の夜に新潟の蕎麦屋でレコード大賞を見ながら飲んでいた
ことがあったなぁ。ほろ酔い加減で銭湯に入ってから夜行列車で迎える新年も、あれは楽しかった。
侘しかったけど、あぁいう瞬間にたまらなくホッとする自分がいる。2001年の大晦日のことである。

鈴木祥子に『水の中の月』と言う曲がある。アルバム『Long Long Way Home』の中の一曲で、
(今はじめて気づいたけど、このアルバムタイトルも私にとってはものすごく意味深である)
この曲を聞くと私はいつも夕暮れの寂しい山間の田舎町を思い浮かべる。私はいつも、この曲を
聞きながら「この曲を聞いて思い浮かべるような町に住みたいなぁ」と思っていた。今、この曲を
聞きながら思い浮かべる町は秋田県の湯瀬温泉なのだけれど、結果的に私は同じような山間の町で
就職しようとしている。草津の夕暮れもとても寂しくて、私はその寂しさがたまらなく好きなのだ。
| SHO | 再就職 | 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

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