藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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求人先から電話
朝一番で、求人先から電話がかかってきた。
担当のチーフの方からで、予備審査が始まったって感じ。かなりきちんと選考をする会社のようだ。
「入社されてから辞められても困るので」という理由で電話してきたそうだ。本音の話で、
どういう仕事なのか。どういう資格を求められているのか、就職するからには長く勤めてもらいたい、
ということをお話ししていただいた。ボイラー技士だけでは就職するのに弱そうな感じを受けた。次に
資格を取るなら電気工事士と防災管理者の資格だな。

予備選考で落とされたのか、本選考に残ったのかは分からなかった。でも、わざわざお時間を割いて
電話してきていただいたこと、本音の話でホテルのボイラーマンってどんな仕事なのか聞かせて頂いた
こと、そして、どういう技能と資格が私に足りないのかを教えていただけたことは本当にありがたい。
改めていい会社だと思った。採用されるされないはともかく、私は運がいい。本当に親身になって
くれる、というのは、こういう対応のことを言うのだ。

もしかすると、この会社がベストマッチングではないのかもしれないし、ベストマッチングかもしれないし。
自分で結論を出すのはやめようと思った。お互いの能力ではなく、マッチングの不備で長く勤められない
という不幸な事態を避けたいからお電話をいただいた、ということが大事だ。とにかく今のベストは
尽くした。結果を心配することはない。もし不採用でも、大変重要な情報を教えていただいたのだから、
また技能を高めて次の会社に応募すればいいだけの話だ。
今の事態は、おそらく人生の中で必要な試練なのだ。目の前の情報で右往左往しないで、自分の人生を
信頼しよう。自分の価値観とかポリシーによりはっきり気づくために、これは必要な試練なのだ。何か
実際に行動を始めたから壁に当たったのだ。それは当たり前のこと。壁に当たりたくなければ何も行動
しないことが一番だけど、その選択はリスクがない代わりに得られるものもない。採用されるのか不採用に
終わるのか、それは私には分からない。でも、結果のいかんに関わらず、今こうやって行動している
自分自身を褒めてあげるべきだろう。短期的な結果に右往左往するべきではないのだ。

長期的に上田への移住を考えているのなら、もしかすると草津を何年も出られない状況と言うのは本当に
将来困らないだろうか。自分の中に迷いがある、と言うことを教えていただいた気がする。安易に就職
するな、ということも、まず就職してみないと分からない、ということも、どちらも正しいと思う。

私はどういう人生を送りたいのだろうか。考えてみれば湯治生活はセミリタイヤみたいなものだ。今度の
求人先に「ここでないとダメ!」と依存することも違うと思うし、でもベストマッチングなら全力で
取りに行くべきだと思う。

正直に感想を書くと「ここがベストマッチングだ!」という感触は受けなかった。ただ、誠実そうな
とてもいい会社だと言うことは感じた。「誠実ないい会社である」ということと「ベストマッチング
である」ということが必ずしもイコールでないことは、最初の就職先がそうだった。私は、この課題を
まだクリアできていない、ってことだろうか?だから同じような事態がもう一度起こっているのかな?

山村雅康さんが、「自然暮らし」について書いたコラムの中で、ご自身のIターン活動での体験談と
して、こんなことを書いている。自然暮らしのための移住先を求め始めた時のくだりだ。

僕たちは、都会から移住し、既に自然暮らしを実践している先輩たちの
もとを訪れ、話を聞いたり暮らしぶりを見せてもらったりしていた。
どの暮らしぶりも、その人らしさがにじみ出ていて素敵だった。
うらやましかった。建物にしても、回りの環境にしても、全てはその人の
在り様が形になっていて、つまりはその人の作品と呼べるものだった。
果たして自分にそういったものが、形作れるのだろうか。そこまできちんと
自分が在りたい形が、僕の中には形成できていないという自覚があった。


今の私の心境と寸分も異ならない。私に分かっているのは、まだ私は自分のありたい生き方の形が見えて
いない、ということだ。それは求人先からのお電話をいただいて、痛切に感じたことだ。だから、今回は
もしかすると落とされるかもしれない。でも、無駄じゃなかった。求人先から教えていただいたことは、
本当に大切なことだ。

だから自分はダメなんだと言うつもりはない。そんなことはない。行動したから今の自分の姿がよく
見えている、ただそれだけだ。まずは、行動したからこそ「自分の生きたい自分のあり方が、まだ
今の私はよく分かっていない」ということが分かったのだ。だからそういう自分を褒めてあげよう。

山村さんの文章の中で、私がこのブログで何度も引用している言葉がある。もう一度引用したい。

先輩たちの暮らしぶりから僕が学んだことは、具体的な暮らし方の
ノウハウではなく、いかに自分を見つめ、そしてその形にしていくのか。
更にいえば、自分の欲している自分の有り方が見つかれば、おそらく
形は自然に構築されるのだろう、ということだった。だから、そこから
始まる僕たちの場所探しの放浪は、実のところ自分自身の有り方探しの
放浪だったのである。


ひとつ言えるのは、仕事を探すフィルターの能力が私はまだ高くないということだ。流れに身を任せる
ことも大事だけれど、偶然にばかり頼っていては分が悪すぎる。私の中に、自分のありたい形が
無意識のうちに形成されつつあることは分かるので、今は自分の人生を信頼して、その時その時の
ベストを尽くすしかない。そうしているうちに、今は分からなくてもいつかきっと、今までの経験が
全て用意された必要なハードルだったことを悟る時期が来るだろう。

今の時点で、自分自身に向かって言えることはひとつしかない。

「自分の人生を信頼して、その時その時のベストを尽くしなさい。結果を過度に心配するな」

と言うことだ。思えば、私はやる前から結果の良し悪しばかり心配していて実際の行動に移せない
時期が長くあったのだ。思うような結果が出なくても、いつもベストを尽くしなさい。ただし、ベストを
尽くす方向が間違っていたら、当然のこととして出てくる結果も違うので、自分はどういう方向で生きて
行きたいのか、常にアンテナを張ることが大事だ、とも思う。

もしかすると、2月になるまで仕事は決まらないかもしれない。もしそうだとしても、それはそれで意味の
あることだと思う。あと2ヶ月あれば、おそらく私は相当の勉強をすることができるからだ。

私の心のどこかに「妥協したい」ってことがなかっただろうか?
まずは就職してみないと分からない。それは本当のことだ。しかし「妥協したい」あるいは「安定したい」
と言うことが志望の動機であれば、おそらくそれ相応のマッチングになってしまうのだ。正直に書けば
「早く安定したい。生活の保証を求めたい」という心が私の中にある。それは決して悪いことではなくて、
むしろ今の状況からすれば当然のことなのだけれど、就職の何よりの動機が「安定したい」ということだと
やっぱりそれは求人先にも伝わってしまう気がするのだ。と言うか、無意識かどうかは分からないけれど
今回の場合はもう伝わってしまったと思う。

最初の就職の時も、思えばそういう心が少しでもあったかなぁ。船乗りになることは確かに夢だったので、
それが叶ったことは嬉しかったのだけれど、思えば船乗りの生活は私の生き方に反していた。受かってしまった
ものだから働いたけれど、だから早々に辞めざるを得なかったのだ。今回もそれと同じことが言えないか?

あぁ、そう思うと、私は自分の生き方に忠実であろうと、ずっと思ってきたのだな。出てきた結果は
ずっと悪かったけれど、自分をとても褒めてあげたい気持ちになった。だからこそ今も迷い、本当に
この会社でいいのだろうか、と仕事の内容を聞かされてとても動揺しているのだ。

自分の生き方に忠実である、とは、何も意固地になるということではない。「私はこういう職業しか
できないんだ」という考え方は、自分の選択肢や可能性を狭めるだけだ。そういうことではなくて、
自分の欲する人生のあり方とは何なのか、そのイメージに忠実でありなさい、ということだ。私自身、
「世の中の常識」ってやつにまだまだ振り回されている。「あの人はこうだから」とか「この人は
こう言ったから」と言う表面的なことに流されて、「あなたはどうありたいの?」という根本的な
問いかけが自分に対してまだ十分になされていないのである。

答えは今すぐに出なくてもいい。まずは行動してみることだ。今も行動したからこそ「自分がまだ自分の
生き方とは何か十分に分かっていない」ということが分かったのだし、それは必要なハードルなのだ。
だから、結果のいかんに関わらず行動した成果はあったのである。次は、エラーを修正して次の行動を
起こすことだ。

「古事記」に出てくるスサノオノミコトの話を思い出すと、私は救われる気がする。彼だって徹底した
離別と追放を経験したわけだけれど、その経験がなければ、彼が出雲の地を安住の地とすることは
あり得ただろうか。おそらくあり得なかっただろうと思うのだ。私だってそれと同じだ。「どんどん
失敗しなさい。たくさん失敗をして、そこから学びなさい」と言うのは、その通りだと思う。今の私の
魂がいい方向に向かっている、ということは言えるので、目の前の結果に逡巡しないことだ。

「目の前の結果に逡巡しない」ということはすごく勇気がいるような気もするし、そうでもない気もする。
私が「これは勇気がいるんだ」と言えばすごく勇気がいることのような気がするし、柳に風で受け流して
しまえば、すごく簡単なことのような気もするのだ。「柳に風」の方が、やぱり私のありたい生き方だなぁ。

「○×は、こうでなければならないのだぁ〜!」と声を張り上げて「ガンバレ、ガンバレ」するのは、
とっても違うことのような気がするのだ。すごく視野の狭いことのように見える。「じゃあ、それだけ
ガンバッて結果がうまく行かなかったらどうするの?」と思ってしまう。行動する以上は、結果が
自分の思うようにならないリスクがあるからだ。

私自身、自分が誠心誠意で何年も全力を尽くした挙句に残酷な結果になったことが何回もある。
恋も仕事も学業も。大事なことは、そこで「人生は、必ずしも思うような結果を得られるとは限らない」
ってことを学んだことであり、「どうしてだろう。私の人生は、どこか方向がずれているのではないか」
と疑問を持ったことが今につながっている。方向がずれていたら、誠心誠意で何年努力しても、やっぱり
うまくはいかないからだ。

うまくいかない、と言う結果にも、「あなたの方向は間違っていますよ」というサインである場合と
「方向は間違っていないけれど、これはより高次の次元に到達するためのハードルですよ」という
場合があるように思う。結果を受け入れた時に深く納得するかどうかがその見分けるポイントだろうか。
「なんで?どうしてうまくいかないの?」と腹が立つときは方向が間違っている可能性が高いし、より
高次の次元に到達するためのハードルとして失敗するのなら、結果を受け入れたときに深く納得する
ことがあるからだ。

幸せな人生、と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか?
私だったら、自然に囲まれた一軒家のテラスで、自然を見ながらのんびり午後のお茶を飲んでいる
イメージかなぁ。本当はけっこう細部まではっきりしたイメージを持っているのだけれど、「イメージと
現実が違っていたらイヤだな」と恐れる心が、それを文章に書き表すことを拒んでいる。でも、幸せな
人生を過ごす場所として「自然の豊かな場所」「空の広がりがある程度ある場所」とは言えると思う。

そして、今の自分は幸せかと考えると、幸せだと思う。魂の成長を日々感じ、たくさんの気づきを
日々得られているからだ。自然に恵まれた、古き修験道の聖地である草津の地と、日々の沐浴の場で
あり、「どういう人生を送りたいのか」と追求するための思索にふける場所としての温泉。風呂に
毎日つかっていると、毛穴の奥まで毎日リフレッシュされていくのが分かる。そして、気づきを
ひとつ得るごとに私は加速度的に自己受容に近づく。人生を草津で過ごすことが楽しくて仕方ない。
今は毎日、幸せで幸せで感謝することばかりだ。

健康、社会的地位、お金、彼女などなど、まだ手に入っていないことは多いけれど、それを手に入れて
いないから不幸な人は、きっとそれを手に入れても結局は不幸だろう。幸せになるために手に入れる
のではなく、その人が幸せだから幸せが向こうの方から転がり込んでくるのである。

なぜ、今はこれほどまでに幸せなのだろうか?私は自分自身を受け入れる決心をし、自分自身を受容する
ことに成功したからだ。つまるところ、失敗しようと成功しようと自分自身を「よしよし」と褒める習慣を
身につけたことにある。そりゃ結果はうまく行かなかったかもしれないけれど、頑張った自分は偉いのだ。
「どうしてうまく行かなかったんだろう」と探求することは大事だけど、頑張った自分を結果のいかんに
関わらず褒めてあげることはもっと大事だ。「よく頑張った。今回は結果がうまくなかった。でも行動した
自分を褒めてあげよう。ヨシヨシ」と自分に言ってあげることが必要なのである。

もうひとつ言うと「じゃあ、行動しなかった自分はダメなの?」と考えるとそういうわけでもない。
「行動しなかった自分も褒めてあげよう。ヨシヨシ」としてあげることも、自己受容していく上ではとても
大事なことだ。「何がなんでも行動しなければいけないのである!!」って脅迫的に行動に駆り立てても
幸せにはなれないのである。行動したらよくない結果を招くことが分かっている場合は、行動しない
勇気を持つこともまた大事なことだからだ。

ネクブサのこの記事によると、

●あなたの現在の状況を見れば、全てが判ります。
(中略)
いかがでしょう?今のあなたが手に入れているもの、手にしている状況。
その全てがあなたの潜在意識・無意識=氷山の見えない部分が望んだものなのです。
しかもいい事ばかりじゃなく、嫌な状況でさえも・・・。


のだそうだ。背中に激震が走るけれど、私は今の時点で本音では「草津で正社員で就職すること」を
望んでいない可能性もある。なぜなら、身体が治り次第、上田への移住を考えているからだ。しかし、
当面の生活を安定させることを望んでもいる。どちらも本音だ。そこの部分で迷っていることは、
おそらく今朝の電話で見抜かれてしまっただろう。どちらを選ぶかは、私の選択であり、会社の
選択でもある。

私は、本当はどうしたいのだろう。どのような生き方をしたくて、そのためにはどこに住む必要があるの
だろうか。おそらく、根本はそこにある。だって「何が何でも草津で住まなきゃいけないの!」と言う人
だったら、おそらく草津で就職することに全く迷いがないと思うのだ。「草津で正社員で就職するの?」
と訊かれて「はい」と答えながら、心のどこかで自分の気持ちがざわめくのは、無意識で私は自分に嘘を
ついているのである。

私は、草津で正社員で就職することで、おそらく「保証」が欲しいのだ。今のまま、不安定な草津暮らしを
続けることが不安で仕方ないのである。だから、地位、待遇、お金そのほかの保証が欲しいのだ。
「保証が欲しい」ってことは別に悪いことじゃないし間違ってもいない。「じゃあ、草津で正社員で
働いたらあなたは幸せになれますか?」と考えると、おそらくそうではない。「上田とか長野へ行きたい」
ってすぐに言い出すことは目に見えている。つまり、自分の本当に欲している生き方に目を背けているのだ。

じゃあ、上田とか長野に行ったとして、私は幸せになれるだろうか?なんだか、ベクトルの方向がずれて
いる気がする。上田とか長野と言うのは、「そこに行けば幸せになれる」と言うような、何かを保証する
ものでは決してないからだ。今のままだと、僕はどこに移り住んでも同じだよ、ってことに気がつく。
「どこかに移住したから幸せになれる」わけでは決してない。単に、幸せになるための保証を求めているに
過ぎない。「大手の世界企業に勤めれば安心だ」と言うのと同じレベルの話なのである。たぶん、結婚
とかに私が今まで求めていたことも同じことだろう。

どうしたいんだろう。ひとつ行動して、いくつかのエラーが見えてきた。「今、草津で正社員で就職する
ことが、イコールで幸せを保証するものではない」ってことだけは言える。残業も休日出勤もしたいですか?
サービス業でホテルなんて言うと、まさにそういう条件下で働くことになるらしい。それって、僕が最初の
会社を辞めたのと同じ原因ではないですか?人生の「ゆとり」をものすごく大事にしたいポリシーなのに、
そんな職場を選んでしまっていいんですか?

あぁ、そうなのだ。僕は人生の中のゆとりの時間、ひとり思索にふけったりする時間をものすごく大事に
していて、それを侵されることは人生のポリシーに明確に反することで、働く上でも人生の上でも絶対に
受け入れられないことなのだ。じゃあ、そのポリシーを曲げないで仕事をするって、どういうことだろう?

たぶん、そういう仕事の仕方が存在しないのではなく、どういう働き方が該当するのか私は知らないのだ。
知らなかったり、そのやり方を知ろうとしなかったり、あるいは「そんな働き方、無理!」と思っている
から手に入っていないだけなんじゃないのか。

自分が最初の仕事を辞めた本当の理由は、身体を壊したためでも大学進学のためでもない。「自分の生き方の
ポリシーに、明確に反する働き方と生き方を強要されたから辞めた」のだ。なんだ、それってずっと前から
私の中には明確に(無意識のうちに)自分の生き方に対するポリシーがあって、それに対して私は忠実に
生きてきた、ってことじゃないか。私は、自分の生き方のポリシーがないのではなく、自分のポリシーが
どのようなものなのか自分で気づいていないだけなのである。そして、私はもう気づき始めているのだ。
自分が無意識のうちにずっと抱えてきた、自分の生き方のルールが何であるかに。

多くの人は、自分のポリシーに反する生き方を強要されたときに、強要されたと感じる心を感じなくして
しまうのだろうか?現在の若者の早期離職が問題になっているが、どんなに自分の感じる心の蓋をしても
無意識のうちに行動に出てしまうものは止めようがない。従来の世の中で「正しい」とされてきた
価値観が、今の若者たちの生きるポリシーに反しているから早期離職が増えているのではないのか。

どうしよう。今回の就職の件は、私の生き方のポリシーに反していますよ、とわざわざ先方から教えて
いただいてしまった(ものすごくラッキーなことです。だから先方のチーフの方には感謝感激)。それを
無視して突っ走ることが、本当に良いことなのだろうか?

ブログ、BAR ANGEROSESに、こんなことが書いてあった。

さて、そもそもなぜ3日坊主という状態は起きてしまうのでしょう。
実はこれには2つの理由があります。

ひとつめは、ホントに自分の生き方に沿っていないのに、
社会の常識やセオリーでそうだからと、
自分の生き方に沿っていないことを、知らないでやろうとしているか、
なんとなく気づいていても無視してやろうとしているかというのがひとつ。

もうひとつは、ホントの深いところでは、
「なぜこれが自分に必要なのか」、
「これをやることでどれだけ自分の人生に有益なのか」ということを
知らないで、うわべだけでやろうとしているかということのようです。

どちらにも共通しているのは、社会一般でこうだからか、
成功者達がこう言っているからというように、
自分では、深いところまでは「がてんがいっていない」ということのようです。


私は、今回の就職に合点が行っているのだろうか?採用面接だからもちろん「はい」と答えたけれど、
本当に納得が行っているのだろうか?会社の予備説明を聞いて「やめようかな」と思った自分もいる。

先日、天河神社でおみくじを引いたら「凶」だったことが私の中で引っかかっている。これはどういう
意味なのだろう。10月の下旬以降、私の人生が一変したのはひとえに天河神社のお導きである。それが
「凶」を今回も出してくると言うのは、今の私が進もうとしている方向が間違っていますよ、という
ことなのだろうか?そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。ひとついえるのは、このままだと
私は今までと同じパターンを繰り返す可能性がありますよ、と言うことだ。

まぁいいや、ここまで考えているうちに、「どっちにしても貴重なメッセージをいただけることは
間違いないのだから、面接に行ってきたら?」という心境に変わってきた。おそらく、この会社の人は
素晴らしい人たちだろう。素直にそこからメッセージを受け取ることは、きっとたくさんあると思うのだ。

今回は、正直言うと、もしかしてダメかもしれないし、受かるかもしれない。どちらの可能性もある。
でも、お電話をいただいて、早く安定したいばかりに自分を見失っている自分を感じたことも確かだ。
本当にこれでいいのだろうか?私はどんな風に生きていきたいのだろうか?
もう一度、よく考えるチャンスを与えられたと思う。
| SHO | 再就職 | 11:32 | comments(0) | trackbacks(0) |

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