藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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ワーカホリックと通勤電車の混雑について
午後になって、書類が全てそろったので求人先のリゾートホテルに提出しに行って来た。担当者の方は
今日の午後から日曜日にかけてお休みとのことで、連絡は月曜日以降になるとのこと。結果的には、
今日は滑りに行っても良かったのだけれど、書類が仕上がっていないのに初滑りに行っても楽しくない
から、これで良かったのかも。とにかく、午後までかかったので初滑りはおあずけ。けっこうな人が
今日は来ていたらしい。これだけ雪質のいい天然雪が降ったのだから、そりゃ当然だろう。

でも本当に、今日は滑りたかった…。滑れなくて本当に残念。人生の一大事が控えているから、私以外の
人は「応募書類がまだ仕上がってないから今日は滑りに行かない」って言ったら「そりゃそうだ」と納得
していたけどね。明日以降は有料なので、リフトの町民シーズン券を買うまでスキーはおあずけだ。

今日、サイトの今朝の記事に山村雅康さんからコメントを頂いた。コメントにお返事を書きながら、
とてもいろいろ感じることがあったので記事にしたい。
お返事を書いていて、まず自分自身に思ったのは「今の私は、かなりの程度の自己受容ができている
んだな」ということ。かつての私なら「どうしてオマエはワーカホリックな自分に気づいていながら
改善しようとしないんだ!」って腹が立ったと思うのだ。一見、それはその人に腹を立てているように
見えるけれど、本当は違う。おそらく自分自身に腹を立てているのだ。

ワーカホリックな人について「考えることをやめた」「何も考えていない」のではないか、と言う
山村さんの指摘はおそらく正しい。寝ても覚めても仕事のことが楽しくて楽しくて仕方がない、と
言う人の場合はまた別だけど、「別にそれほど楽しくもやりがいがあるわけでもない」と感じている
仕事を、睡眠時間とか他に費やすべき人生の時間を削ってまで仕事しなければいけない、と言うのは
どう考えても異常だ。それが異常事態だと認識する心を消さなければいけないほど、感じる心を
鈍磨させなければならない状況なのだろう、と感じる。

私の友人にも、まさしく今そういう状況にある人がいるけれど、見ていて今の彼女は辛そうだ。本人の
選択だから可哀想だとは思わないけれど、あの状況は辛いな、と言うことは感じる。感じる感覚を
すごく鈍磨させているのが伝わるから。感じる心に蓋をしているわけだけど、本当に辛いときは、
辛いと感じる心に蓋をしなきゃ生きていけないことがある。今の私に言えるのは「そんなに自分を
責めるなよ」ってことだけだ。本人のブログを読んでいると、ブログから悲鳴が聞こえてくるのが辛い。

私が東京を大嫌いな理由のひとつは、あの通勤電車にある。あれは人間の乗るものじゃないだろう。
通勤ラッシュのあの混雑は、私は社会的犯罪だと思う。他人との距離が日常的にあれほど至近距離まで
押し込まれざるを得ないなんて、あれで痴漢だのスリだの犯罪が起きない方がおかしいじゃないか。
しかも日本の女性は、海外なら「How much?」と言われかねない格好で町を歩くし混雑した電車にも
乗る。犯罪を起こした本人がもちろん一番悪いのだけど、犯罪を助長する環境が都会の電車にはある。

「今日、私は痴漢を目撃したけど何もできなかった。恥ずかしい思う」なんてマナーポスターが
最近よく掲示されているけれど、公共交通機関にそんなことを言う資格はない。人間ひとりひとりの
十分なスペースの座席を提供することは難しい、と言うのは単なる怠慢に過ぎない。事実として
地方では通勤時においても十分なスペースの座席が提供できている(自家用車は、通勤時にも
十分なスペースとプライバシーを提供できる)からだ。

鉄道に限らず、公共交通機関の魅力が総じて自家用車よりはるかに劣るのは、人間ひとり当たりに
与えられるスペースの広さと快適さを考えれば自明のことだ。どんなに環境に優しいと訴えようと、
基本的人権を侵害していると言ってもいいほど混雑する公共交通機関に、自家用車の空間スペースに
慣れた地方の住民が乗るわけがない。鉄道会社はその事実に対する感覚が鈍磨しすぎている。

もうひとつ言うと、これは通勤電車を利用している人にも重大な問題がある。「何も考えていない」
からだ。通勤電車の混雑がイヤなら、通勤電車に乗らずに済む環境に住むことに意識をシフトすることも
選択肢のひとつである。自分はどういう価値観とポリシーで生きて行きたいのか、と言うことに対する
感覚の鈍磨の集積が、通勤電車の混雑だと言えなくもないのだ。最終的に、殺人的な混雑の通勤電車に
乗るという決断をし続けているのは本人なのである。

「誰か私の機嫌を取ってー!」と言い続けている限り、状況は受動的にしか良くならない。それは人生に
おいて極めて分が悪い選択だと言わざるを得ない。人生で幸せになりたければ、幸せになるための行動を
実際に起こすことが最短距離なのである。

通勤電車が社会的犯罪だと思うのなら、通勤電車に乗らなくてもいい環境に住む、と言うのも選択肢の
ひとつだろう。人生のあるフェーズにおいて今はやむを得ない、と判断するなら、ひとまず受け入れる
のも選択肢だと思う。どちらにしても、最終的に「通勤電車に乗る」という選択をしたのは自分だと言う
認識を持つことが大事なのだ。「そんなに通勤電車に乗るのがイヤなら、通勤電車に乗らない生き方だって
あるんだよ」と私は思うのだ。双方の生き方のメリット、デメリットを比べてみて、メリットの方が
多いと思える環境で生きていけばいいだけのことだ。

東京への一極集中が通勤電車の混雑の元凶だ。しかし、私は通勤電車に乗る人たちの辛さに共感は
するけれど同情はしない。「それは辛いよねぇ」とは思うけれど、彼らが可哀想だとは全く思わない。
彼らは通勤電車に乗ることを自律的に選んでいるか、あるいはオートマチックに乗っているかの
どちらかだからだ。

自律的に選んでいる人であれば「この通勤電車、なんとかならんかなぁ」と思いながらも東京生活に
納得しているだろうし、オートマチックに生きているのなら「辛いのなら、他の生き方もあるよ」
と思う。収入が少ないだの業種が少ないだのと問題はいろいろあるけれど、地方に住めば少なくとも
通勤電車の混雑はない。どちらを選ぶかは本人の価値観とポリシーの問題だ。

この記事は恋愛関係の記事なのだけれど、今回の通勤電車の問題(あれ?もともとはワーカホリックな
人生についての問題)についても全く同じことが言えると思う。通勤電車の問題だって、その本質は
乗客のひとりひとりが

「誰か私の機嫌を取ってよ!」

と言う願望を持っていることに自分で気づいていないことにあるのだ。乗客ひとりひとりが「自分の
機嫌は自分で取ります」って人だったら、おそらく通勤電車はあれほど混雑しないだろう。地方に
行けば「通勤電車?電車なんて高校生が乗るものじゃないの?」って社会人の方が普通だからだ。

渋滞の問題とか環境問題はあるけれど、通勤電車がイヤなら車通勤が認められるような地域に住むか
職場の徒歩圏内に住むのが根本的な解決策である。そして、日本にはおそらくそんな地域の方が圧倒的に
多い。みんな、そういう仕事がどこにあるのか知らないだけだし、知ろうとしないだけだと私は思う。
恋愛問題も通勤電車の問題もワーカホリックの問題も、みんな根っこは同じことなのだ。

最近流行の女性専用車両など、平等なサービスに反している。現実に即しているとは思うけれど、あれは
顧客への背信行為だろう。グリーン車を増結する方が、同じ輸送対価を支払った顧客への機会平等という
点で正しいと思う。グリーン車は、普通車に比べて広い空間スペースや落ち着きなどのサービスに対して
対価を払っている。女性側からは「安全」と言う点で女性専用車両は好評なようだが、それだけではない
だろう。殺人的混雑の中にあって、女性専用車両が「他の車両よりも空いている」ことが問題なのである。

ともあれ、女性専用車両の趣旨に私は納得していないし、混雑する通勤電車で片道一時間も一時間半も
通勤する生活そのものが私の価値観とポリシーには明確に反する。だから私は東京には住まないので
ある。たとえ給料が安くて不便な土地であろうとも、通勤電車に乗るよりはずっと人間らしい生活と思う。
| SHO | Iターン | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |

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