藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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許す、ということについて
さっきの記事で、「履歴書を何回書き直しても間違えてしまって、最後まで書けない」って話をした。
「もうイヤ〜」と友達にメールを送ってから、ハタと気づいた。「そういえば、今の僕は甘えてるな〜」と。

甘えているって言っても、ネガティブな意味でもポジティブな意味でもない。相手に自分の気持ちを
投げ出している、ってことかな。私はものすごく警戒心が強かったので、めったなことでは人に自分の
気持ちをゆだねることはなかった。人に自分を丸ごと預けるなんてのは「危険な行為」そのものだったのだ。

人を信じて自分の気持ちを投げ出すことを、危険だと深層心理で認識していたからこそ、私は友達が
どうしてもできなかったのだと今は理解できる。正確に言うと、友達の数が非常に少ないのだと言える。

以前、バイト先の上司に言われたことがあるのだけれど、私はあるラインまでは非常にフレンドリーで
柔和な雰囲気なのに、ある一線から中には絶対に人を入れない(当時)そうだ。今もある程度はそうだと
思う。疲れたときに素直に友達に「疲れた〜」って甘えたメールを無意識に打ってしまってもなお、
実は自分の気持ちを完全に相手にゆだねてしまうことが怖くて仕方ない。正直、甘えたメールを打って
しまって後から不安である。自分の気持ちを相手にゆだねるって、実はとても気持ちがいいんだけど。

何が不安かと言うと、朝の記事にも書いたけれど、甘えた自分とか自分の弱い部分を見せることによって
相手にダメ出しされることが不安なのだ。「もしメールが返ってこなかったらどうしよう…」とか、
「つれない返事だったらイヤだなぁ…」とか、不安になってしまう。

私は、特に年下の友人に甘えることは男女ともに非常に苦手である。今までお付き合いした人の全員が
年上だと言うのも、甘えたがりのわりに相手が年下だととたんに硬くなってしまって、心底リラックスして
甘えられなかったからだと分かる。こちらがリラックスできないのに、相手もリラックスできるわけが
ないものね。相手が年下だと、どうしても私は緊張してしまうのである。大学時代の、短歌会とか
鉄道研究会のメンバーには信じられない話かもしれないけれど、これは本当だ。年下の人に甘えるのは
恥ずかしいと、私は深層心理のうちに思い込んでいたのである。今もなお。
話を戻すけれど、4回も履歴書を最後の最後で書き間違えるというのは、たぶん偶然ではないので、自分は
無意識に何を感じているのか考えてみることにした。無意識のうちに、相当緊張しているのは間違いからだ。

やっぱり、

●「せめてこれくらいはね〜」と口に出しつつ、本当は
気付かないレベルで「とても自分にはムリ!」と思っている

のかなぁ〜。カウンセリングの方法のひとつで、無意識領域のことを判定するには左手の指で指し示す、と
言う方法があるので使ってみたら、私の左手指は、いくつかの要素の中から見事にこれを指差した。
「指差せ!」と言ったわけではないので、もちろんこれは無意識だ。顕在意識では

●手に入れる事を恐れている
(それを手に入れてしまったら、その後とんでもなく悪い出来事が待っていると思い込んでいる)

だと思っていたので、ちょっとびっくり。

今回、私がこの判定に使ったのはこの記事なのだけれど、同じ記事にはこんなことが書いてある。

●あなたには、手に入れる実力がないのではない。
あなたは自分で勝手に、自分の事を低く採点していませんか。

そうなのかもしれない。読んでドキッとしたから。今朝も、私の職務経歴書に父が書いてよこした
「この職務経歴書なら、誰でも雇いたいと思う」と言う判定に(しかも父は採用のプロなのに!)
「またまたぁ〜、そんなことないよ。全然だよ」と条件反射的に思った自分がいることを告白しなければ
ならない。父はこういう時に自分の息子だからと手心を加える人ではないので、客観的に判定をした
はずだ。つまり、おそらくその評価は正しいのである。

そういえば、もし「にしむら君ってすごくモテるんだよ」って言われたら、やっぱり「またまたぁ」
ってサラリと否定したくなる自分がいる。やっぱりそうなのか。

もうひとつ付け加えると、その職務経歴書は自分で読んでも求人希望者の知りたい事柄を過不足なく
書けていると思う。私も文章の良し悪しの判断には相当の能力があるから、おそらく父の感じた評価も
私が自分の職務経歴書に感じた評価も正しいはずだ。こと文章の良し悪しの判断に関して、父子の意見が
一致している場合に、その評価が間違っているということは客観的に考えてまずあり得ない。

しかし…、私の無意識の自己評価は低いようである。職務経歴書に関する自己評価が低いのではなく、
自分がこの仕事をするに足る能力があるのかどうか、本当のところは(客観的な能力の有無とは関係なく)
私は自分の職業能力に自信がないのである。私は「正社員として、責任ある立場で働くのが怖い」のだ。

正社員を離れて8年のブランクがそうさせているのかどうかは分からない。でも、『機動戦士Zガンダム』で
モビルスーツに乗り込めなくなったアムロ・レイと、今の私は同じ状態なのだ。7年ぶりに幽閉から
解放された彼が、口では戦うと言っていたにも関わらず、実際にはモビルスーツに乗り込もうとした
瞬間に「戦うのが怖くて」乗り込めなくなったのと、今の私は同じ状態なのだ。

正直のところ、船乗りを離れてから8年の間に私が高専時代から船乗りをやっていた頃にかけて鍛え上げて
きた、専門の職業能力を活かすチャンスは全くなかった。大学に入ってからも、大学の勉強について
いけなかったので(それも高専時代の得意分野で!)徹底的に自信を叩き潰されてしまって、どうしようも
なかったのだ。そして、いざ再び働くための本格準備に入った今、ずっと隠れていた問題が頭をもたげて
きたのである。

自分の中には、無意識のうちに、こうなるきっかけを作ってしまった大学に対する激しい怒りが眠っている。
と言うのは、自らの職業能力を活かして、それを研究に活用するために大学に入ったのに、入学して実際に
どうだったかと言うと、私の職業能力は大学から全く必要とされず、一般入試を潜り抜けてきた他の学生と
比べて不利な部分ばかりが評価の対象になり、挙げ句の果てに4年生に進級できないまま休学に追い込まれた
からだ。

社会人AO入試の第一期生として入った私の同期生3人のうち、卒業まで漕ぎ着けたのは1人しかいない。これは
社会人入試の数字ですよ?社会人入試で大学に入る人は、みんな自分の一生を賭けて大学に入っている。
客観的に見て、大学側の体制に大きな落ち度があったことは明らかなのだ。

でも、こうとも言えると今は思う。
大学側に、ほとんど契約違反と言ってもいいほどの落ち度があったことは事実だけど、でも4年間在学した
ことを最終的に選んだのは私なのだ。そして大学に「私の人生をこんな風にしたのだから、軌道修正してよ!
あなた方の体制が悪かったことが、私をどれほど傷つけて人生のドン底に突き落としたのか、私はその事実を
一生忘れない!一生不幸で居続けてやる!」と訴えたい気持ちが私の中にあったこともまた事実なのだ。
だから、私は自分の職業能力を(自分から進んで、わざと)全く発揮せずに4年間を終えたのかもしれない。

そう言う固定観念を心の中に抱いている限り、私は決していろいろな意味で幸せにはなれないのだ。
そして、今気づいたことだけど、私は最初の就職先にも同じ感情を抱いている。「あぁ、そうなのか」
と納得する思いだけれど、最初の就職先に対してそういう感情を抱いているせいで、私は就職恐怖症に
なっているのだ。正社員で、責任ある立場で就職することが私は怖いのだ。そして、私は最初の就職先も
今いる大学のことも、たとえ彼らに非があったとしても私は許す必要があるのだ。大学やかつての
就職先のためではない。自分がこれからの人生を幸せに生きるために、だ。

今、大学や最初の就職先を離れて、こんな草津で湯治しているから分かることだけど、大学にしても
社会人AO入試にはある意味で大学の命運がかかっている。一人の社会人を潰す目的で社会人入試を行う
はずはないのだ。彼らは彼らなりにベストを尽くしたのだろう。しかし結果的には方法が間違っていた。
それだけの話だ。これが大学だから怒っているけれど、子供を育てるつもりで教育方針を誤った親なんて
世の中に吐いて捨てるほどいるだろう。私だって将来間違えないとも限らない。それと同じことで、
いちいち怒っても仕方ない。無能だったかもしれないけれど、彼らも彼らなりに努力してくれていたのだ、
と納得して許すしかない。

最初の就職先も、私が身体を壊すまで働かせて、しかも航海中に壊した身体を検査する時間もくれなかった
のは、速く一人前の航海士になってもらいたかった一心なのだろうと今は分かる。

私自身の価値観はスローキャリア志向である。いくらお金をもらっても、身体を壊すまで、年間の
休日を70日も買い上げて働くことを良しとは今も思わない。お金がたくさん稼げるに越したことは
ないけれど、だからと言って人生の他の大切な要素を犠牲にしてまで働こうとは思わない。平均より
少し高いくらいの給料でいいから、私は人生の感じる時間を大切に生きたいのだ。

そういえば、今度受ける草津の職場は、採用されれば私の給与水準はまさしく「標準より少し上」である。
草津での水準だから東京よりは2〜3割安いけれど、ここは草津なのだから東京水準で話をしても仕方が
ないし、これで単身者寮に入れば、実質的な使えるお金は東京で働くのと大して変わらない。ちょっとは
安いけど、私は今度の給料には納得している。ここは草津だもの。納得してなければ履歴書を書いてない。

従って、残業や休日出勤を当然と考える職場は、私自身の生きたいライフスタイルとは全く合わない。
だから結果として会社を辞めたことは仕方ないと納得するけれど、かつて勤めていた会社が、数少ない
海上職員を、使い捨てに潰す目的で働かせたわけではない、と言うことだけは今の私には理解できる。

と、ここまで書いてなお、自分の中の怒りがなくなっていないことに気づく。まだ、私は頭の中では
許すつもりでも心底から許したわけではないらしい。心の中で「でも、許す!」と言い続けるしか
ないのだろうか。

もしかすると、本当の理由はまだ他にもあるのかもしれない。今の自分の判断が、履歴書を何度書いても
最後の最後で間違えてしまう原因だと断定するのは早計だし、断定してしまってはもっと大事なメッセージを
見落としてしまう可能性もある。ただ、自分の中に再び正社員として働くことへの怖れがある、という
のはおそらく本当だろう。私は「不幸で居続けたい」と深層心理で思っていることに気づいている。

今日、二冊目の履歴書を買いに行った帰りに、自分の心の中に、今巡ってきている幸運にブレーキを
かけたい気持ちがあることに気づいた。その時、「幸運が回ってきたときは、絶対にブレーキを踏むな!」
と自分に言い聞かせたのだけれど、深層心理では、つまり私はブレーキを踏みたいのだ。自分に巡って
きた幸運のチャンスに対して。私は、自分が幸せになることが怖いのである。

でも、私は勇気を持って幸せになりたいのだ。正社員として就職して、今よりももっと社会的にも
経済的にも安定して、身体だって早く治したいのだ。そうしたらスキーだって好きなようにできるし、
来年の春にはバイクだって買えるじゃないか。そして何より、自分の本当に生きたい人生に向かって
一歩前進できるじゃないか。幸せになるって言うのはそういうことだ。
| SHO | 再就職 | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

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