藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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ことの葉リーディング・その3
ことの葉リーディングについての記事、3回目である。
それにしても、どうしてリーディングの感想を書いている時って、疲労困憊しているんだろう…。

リーディングの場所は「発芽*カフェ」と言って、矢尾こと葉さん(とだんなのホトケさん)の自宅である。
入ってみた印象は、矢尾さんご自身の印象とも似ていて「いかにも天河系やな〜」って感じ。何がどう
天河系なのか、口で説明するのは非常に難しい。とにかく、天河と縁のある人独特の雰囲気の場所であり、
人なのだ。私も天河とは縁がある方だけど、そうすると私も同じ様な波長を出しているのかな?話が合った
ってことは、きっと私もそんな波長を出しているのだろう。

私自身には、自分が天河と縁のある人だという自覚はあって、でも自分がいわゆる「天河系」の人だと
いう自覚はない。別世界の人たちのような気がする。マンションの高い階にあるので、エレベーターから
「麦芽*カフェ」への往復の廊下から眺める景色が私にとっては非常に怖かった。高所恐怖症なのだ。
大峰山・山上ヶ岳の「西の覗き」で吊り下げられても何ともなかったし、かつては練習帆船日本丸の
高さ55mのメインマストに登っていたのだから「高所恐怖症」と言っても信じてもらえないことがある
けれど、とにかく私にとっては「麦芽*カフェ」への廊下はとても高くて怖かった。

部屋に入ると真っ白な印象で、無国籍な室内。リーディングの間はエンドレスでエンヤが流れていた。
『The Celts』と『The Memory Of Trees』、そして『Watermark』だったかな。話題には出さなかった
(あっ、エンヤだな、と思っただけで、気にならなかった)のだけど、私もエンヤは大好き。天河系の
人は音楽の好みにおいても「天河系」な音楽を好むけれど、矢尾さんはたぶんスーザン・オズボーンが
お好きではないだろうか。それはともかく、「麦芽*カフェ」の場の空気はお堂の中にいて感じるそれ
とよく似ていた。過去にこの場に集まったたくさんの人の残留思念が残っているような雰囲気だった。
そう言えば、天河神社の観月祭に初めて参加させて頂いた時に、私は祭りの翌日になって他の参加者から
「独特の雰囲気を放っていましたね」と言われたことがある。天河に集まる人って、私から見るとみんな
「こういう人が天河には集まるのね〜」という独特の雰囲気を持っているのだが、その参加者の中で私は
独特の雰囲気を持っていたそうだ。おそらく私が矢尾さんに感じたように矢尾さんも何らかの印象を私に
対して持ったと思うので、どういう類の雰囲気なのか、機会があれば聞いてみたいものである。

前回から時間が空いてしまったけれど、まとめの続きである。

10、リーディングの後、何か変わったか?と考えると、草津という土地の持つエネルギーをものすごく
  感じるようになった。それこそ激烈なエネルギーを草津は持っていて、だから草津の湯が嫌いな人は
  たぶん本当に嫌いだと思う。私自身も、草津の18ヶ所ある共同浴場のほとんどの湯には入れないの
  だけれど、私にとって草津温泉と言えば「煮川の湯」であり、他の共同浴場ではあり得ないのだ。
  激烈なエネルギーを持っているからこそ草津の湯は治す力も大きいのだろうけれど、入る湯や
  入り方を間違えると身体に与えるダメージの非常に大きい湯である。どこの共同浴場でも入れば
  いい、というものでは決してないのだ。

11、「感じる」ということがメインテーマになりつつある。「感じる」とは「感じる」ことであって、
  感じた情報を何か頭の中で加工することではないのだ。ただ、自らの感じる能力を解放すること
  には、リーディング前ほどではないものの、強い抵抗が依然としてある。自分の感じる能力に
  自信を持っているだけに、それを解放することは人生を変えてしまいそうで非常に怖いのだ。
  いや、キーワードとして既に出てきたように「人生を変えてしまう」ことは間違いないので、
  そちらのアナザーワールドへ行くことが非常に怖いのだ。今持っている常識や価値観が完全に
  崩れて新たな価値観を生み出しそうで。自分の人生を完全に変えてしまう覚悟が私にないのだ。

12、話題の中で、例えば手のひらに空気の重さを感じるか(答え:意識を集中すれば、私は感じます)
  という話が出てきた。つまり「意識を集中する」ということが私にとっては大きな課題であり、
  意識を集中することを無意識に避けていると言ってもいいくらい、私には集中力がない。ないと
  言うか、無意識のうちにわざと使わないように使わないようにしている。意識を集中することも
  私にとっては怖いのだ。本当はものすごく集中力があることも私は分かっているから。

13、結局、私は自分の人生を変えるのが怖いのだろうか。例えば女性の好みのタイプとか職業の選択、
  あるいは大学の専門にしても、私は自分に合っていないタイプばかりを選んでいるらしい。もっと
  言えば、本来的な意味で私に合っているものをわざと正視しないで避け続けているようにも感じる。
  その道に進むことを避けている、逃げているようにすら感じる。はっきり言えば、その道を選ぶ
  ことを無意識にとても怖れているのだ。「客観情報では私は『感じる能力』があるのに本人だけが
  分かっていない」というのは、本人だけがその事実を認めようとしていない、ということなのだ。

14、初めて「呼ばれて」天河神社に行ったとき、天河神社そのものよりも、観月祭の翌日になぜか
  茶店のおばさんが車を貸してくれて(しかも私は半年ぶりに運転したのに!あの狭道を!)、
  私は山上ヶ岳の女人結界の中に入ったのだった。女人結界の外と中では空気がガラリと変わる
  のだが、その空気に触れた体験が、後に私を山上ヶ岳山頂への登拝に導いている。天河神社
  そのものよりも、私が本当に「呼ばれた」のは女人結界の中なのではないか、という話が
  リーディングの中で出てきた。そうなのかもしれない。女人結界の中に入らなければ私は
  修験道そのものに触れていなかったかもしれないからだ。私がその当時に通っていたのは
  キリスト教のプロテスタントの教会だったのだから。

15、リーディングの直後から、練習船時代の同級生と連絡が復活したのだが、なんと彼は私の
  知らない間にカトリック教徒になっていた。もしかすると、数年後には神父になるために
  神学校に行くかもしれないと言う。それ以来、携帯メールにしてはかなり長いメールで毎晩
  宗教の話に花が咲いているのだけれど、どうしてこんなことになったのだろう。私は私で毎晩
  修験道についての話をしているし、向こうは向こうでキリスト教とカトリックの話をしているし。
  そもそも、私が毎日毎晩修験道の話をできるほど修験道について知っているってことが不思議だ。
  普通は、携帯のメールで女人結界とは何ぞやとか、金峯神社の裏に昔は女人結界があったなんて
  説明しないだろう。私の人生、どうなっちゃったんだろう。たしかに、私の母方の先祖は高野山の
  お坊さんなのだけど、関東にありながら真言宗の寺が中心街を見下ろしてドンと構える草津といい、
  (草津白根山は修験道の古い霊山である)修験道の要地に私は縁があるらしい。私は父よりも母の
  血の方が濃いみたいなので、修験道に私が関わることそのものは不思議じゃないのか。

リーディングの後で変化はあったかと考えると、いろいろあるなぁ…。

16、「気持ちのいい責任の取り方のできる考え方や働き方を考える」ってことは、草津にいる間に
  身につけるべき大きな課題なんだそうだ。たしかに、上田に行こうとさらにどこかに行こうと
  身につけなきゃいけないもので、今の私にとっては感覚を解放することと並んで最大の課題だろう。

17、私の住んでいる草津の中でも、私の通っている「煮川の湯」というお湯は泉質が草津でもNo.1と
  推す常連客の多い(私もそのひとり)共同浴場である。他に「白旗の湯」「千代の湯」「地蔵の湯」
  などが名高いけれど、ここは土地のエネルギーと直結しているかと言われたら、直結しているだろう。
  毎日、私は「煮川の湯」に浸かっていて、まるで沐浴をしているかのような気持ちになる。風呂から
  上がると皮膚の奥まで汚れたものが流れ出た感じがして、とてもすっきりするのだ。すっきりする
  ことそのものは以前から同じだけれど、よりそのことを意識するようになった。感性を研ぎ澄ませる
  つもりなら、草津は良い修行場であるとも言えるのではないか。昔の修験道の修行場だったのも
  今思うと頷ける話だ。修験道の修行場には、温泉が湧いている場所も多いのだ。草津の湯は、
  いろんな意味でただのお湯ではないのである。

18、今は、就職して以来9年間の締めを行っている時期である。来年以降の準備は既に始まっていて、
  準備とともに捨てなければならない未練がいくつかある。航海士という仕事への未練、大学への
  未練、そして過去の恋への未練である。意識することはほとんどなかったのだけれど、過去の恋も
  私はかなり引きずってきたのだな、と今にして思わざるを得ない。昔の恋が忘れがたかったのだ。
  それともうひとつ、いろんな意味で私は非常に怖がりである。人生を変える覚悟がない、という
  のも、人生を変えたり、自分の道というものを正視することが怖くて出来ないからなのだ。
  基本的には、私は芯のとても弱い人間なのだ。

ことの葉リーディングについての案内はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/writer/diary/200510070000/
http://plaza.rakuten.co.jp/writer/diary/200509260000/
| SHO | 再就職 | 05:22 | comments(0) | trackbacks(0) |

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