藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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NHK「日本の、これから」に思う
日本シリーズが始まった。今日は中盤に崩れて10-1のボロ負け。クリーンアップが得点圏でノーヒット
じゃねぇ…。1回表に四球で出塁した赤星を進塁させられない鳥谷といい、今日は負けるべくして負けた
戦いだった。霧のために7回で試合が終わってしまったけれど、9点差を8回と9回で逆転できるとは
思えないから、あれで良かったんじゃないだろうか。僅差で負けるよりもサバサバとした気分だ。
また明日。ふがいない片岡はスペンサーに変えて、クリーンアップも明日こそは勝って欲しい。

日本シリーズの中継が終わってから、NHKの「日本の、これから」と言う番組を見ていた。若者の
失業、無業問題について語る番組だった。

若者の自立と支援について、ゲストの放送大学の先生が最後に「自立は権利。支援は甘やかすこと
ではない」と言っていた。その通りだ。そして、その認識が全世代的に薄いように感じられた。

若者のうち、自立している人はいい。過酷な状況から社会人として会社を興して勝ち上がった人も出席者
にはいた。「自分たちを甘やかさないで欲しい」という意見もあった。熟年層からも「若者を甘やかすな」
という意見が散見された。

しかし、生活に絶望し、人生に絶望した若者はどうなるのか。彼らに、「甘えるな、自立しろ」と言った
としても、どう自立しろと言うのだ。絶望とは、そんな甘いものじゃない。絶望とは、生きる気力を、
自分の人生を切り開いて行こうという気力すら奪うものだ。「甘えるな」と言われてどうにかなる
ものでは決してない。「頑張れ」と言われても、どう頑張ったら分からないほど絶望している人に、
そこからどう頑張れと言うのか。頑張り方があるのなら、こっちが教えて欲しいくらいだ。

自分で起業した若者から「支援は必要ない」という意見もあったが、世の中はそんなバイタリティのある
人ばかりではない。どんなバイタリティのある人でも、人生の中で思わぬ転落をすることもある。生きる
気力すら奪う絶望というものが、この世の中には間違いなく存在するのだ。自分がその状態になってから
「行政の支援が必要ないなど言うんじゃなかった」と言っても遅い。「行政の支援は必要ない」という
言葉は、少なくとも一部の若者にとっては死刑宣告に等しいのである。
行政による若者への支援について、職業訓練や進路相談という方法は重要である。重要であるが、
それが若者への支援策の全てでないことも確かだ。根本的に生きる気力をなくした人をどう復活させる
のか、根本的に生きる希望も気力もなくした人は、願わくば収容所にでも送って死ねと言うのだろうか。
実際、そう言いかねない雰囲気があるように私は感じた。

許されるなら長生きなどしたくない、と思っている若者は、きっと私だけじゃないだろう。生殺しの
人生のまま何十年も生きさせるのなら、それでも「生きろ」とは私にはとても言えない。「人生のそんな
時期は何十年も続かない。止まない雨はないんだ」と言う人は、本当に止まない雨のことを知っている
のだろうか。本当に、死ぬまで一生雨の止まない人生というものも、人によっては確かに存在するのだ。
自分は決してそうならない、そうなっても復活できると思っている人がいるとしたら、それは傲慢に
過ぎない。人生の中には、自分ではどうしようもない不幸せな環境であり、自分には何の責任もないにも
関わらず、その環境を一生変えられない場合だって存在する。

人間は弱くてもいい。どんなに強そうに見える人でも、思いもよらないことでガラガラと崩れてしまう
こともある。そういう自分を受け入れることが、まずは第一歩ではないだろうか。そして、本人も周囲も
人間は愚かで弱いものだと言う認識が必要だ。自分も他人も、愚かでもたとえ弱くても幸せに生きる
権利があるのだ。

「社会的に、経済的に役に立たない人間に生きる権利はない」というメッセージが社会の場の共通認識と
して発せられていることが問題の根本なのである。若者の雇用対策も高齢者の雇用対策も、その根っこは
変わらない。「あなたは社会に必要ない人間だ」というメッセージこそが人間から生きる気力を奪うのだ。

ほとんどの人は、自分以外の誰かから「あなたは自分にとって(社会にとって)必要な人間だ」と認め
られることが必要なのだ。自分が誰からも必要とされず、社会からも相手にされない存在だと感じることが、
人間から健全に生きる気力を奪うのである。自分が生きるに値しない存在だと、無視されることほど
悲しいことはない。「私は若者にそんなことは言ってない」と思っている人もいるかもしれない。でも、
口で言わなくても態度や実際の行動でそういうメッセージを発していれば同じである。むしろ、口で
弱い存在を認めるようなことを言って実際の行動で「オマエは社会に必要ない」というメッセージを
発することの方が問題だ。問題なのは、口で何を言ったかではなく、実際にどんな行動を取ったかなのだ。

逆境に陥り、自分が他人から無視される存在になった時に「そんなことはない」と自分で自分を奮い立たせる
ことのできる人はいい。しかし「あなたは世の中に必要ない」というメッセージを受け取って育った人に
「そんなことはない。たとえ他人から無視されようと、私には幸せに生きる価値があるのだ」と自分に語れと
言われてもそれは無理である。自己価値の低い人間に自分の命や人生を大切にしろと言われても無理なのだ。

「正社員を一人雇うには100万円の資金がかかる。だから若者の採用に慎重になるのは当たり前じゃないか」と
番組の中で語った経営者がいた。しかし、その人は言外に「オマエに100万円を投資する価値はない」と言う
メッセージを発していることに自分で気づいているだろうか。「グタグタ言ってないで、まず雇ってみろよ」と
叫んだ若者の、真意にその経営者は気づいただろうか。私には、気づいているようには見えなかった。

それが市場経済だと言われればそれまでである。個人の価値はことごとくお金に換算される。キャリアを
積む機会がなかった若者は、自分に実力がないのだから食うべきじゃない、という考え方もあるだろう。
しかし、キャリアを積む機会を与えられず、職能を持たない若者たちが、30代、40代と年齢を重ねて行った
時に、彼らにはどんな生きる場が与えられると言うのだ。

30代にも40代にもなって全く職能を持たない中高年の予備軍は既に増加しつつある。彼らが中高年になった時、
人生に希望を持て、という言葉は彼らにとってどれほど空虚で無責任な言葉だろう。彼らに、まっとうな人生を
歩めと言うことの方が無理だろう。現在の若者の就職難は、将来の社会の不安定化に直結しかねない問題だ。

彼らが結婚したいと思っても、結婚してくれるような異性を見つけられるだろうか。彼らが中高年になった時、
種の保存すら諦めざるを得なくなる人が激増することは目に見えている。生きていく上で、種の保存を望んで
いるにも関わらず達せられないことは、生存理由を脅かしかねないアイデンティティの重大問題である。

人はなぜ結婚するのか。種の保存という本能の他にも理由があるだろう。

もともとの自分の家族以外の人間に「私にはあなたが必要だ。自分にとって、あなたはかけがえのない
存在なのだ」と恒久的に認めてもらうことが、精神的に健康な人生を送る上で必要だからではないのか。
本質的に強くて一人でも生きられる人だっているだろう。でも、少なくとも私にはそういう存在が必要
だし、それは否定されることじゃないと思う。

現在、ニートやフリーターである若者が30代や40代になった時、経済的に結婚できない人口は激増する
だろう。その時になって「他人の(あるいは後の世代の)不幸だから分からない」と言っても遅いのだ。
ニートやフリーターのまま中高年になる人の増加は「あなたに生きる価値はない」と言われたまま一生を
過ごす人間の増加に直結する。本人にとっては「一生止まない雨」だし、社会全体にとっても大きな損失だ。
他人の不幸に対する無関心は、結局のところ自分の首を絞めるのである。

例えば自分の子供が「生きていたくない」って日常的につぶやくようになったとしたら、私は親として
どのように接するだろうか。「人生ってそんなに悪いものじゃないよ」とは私には言えない。「そうか
そうか」って話を聞きながら「どんな風に感じているの」と共感するよう努めることしかできない。
それでも、子供の話を傾聴し、観察し、反応して共感する以外に、私に何ができるだろうか。
| SHO | 再就職 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |

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