藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
CALENDER
<< February 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECENT COMMENTS
+RECENT TRACKBACK
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+LINKS
+PROFILE
+OTHERS
天河神社のこと・再び
以前も日記に書いたことがあるけれど、吉野のさらに山奥、熊野川水系の最上流部にある奈良県天川村に
天河大弁財天社という神社がある。私は今まで2002年9月、2005年3月と訪れたことがあって、吉野に行く
時には必ず前後で行けないか検討している。無理やり行っても効き目のない神社で、この神社に行く時は
運命の赤い糸を引っ張りつつ、いくつもの見えない関門を通り抜けるような旅になる。

でも、天河は玉ねぎの中心みたいな場所で、たどり着いたからといって何かあるわけじゃない。そこには
ただ空がある。見えない関門をくぐり抜けてたどり着いた宇宙の中心は、空なのである。空にたどり着いて、
また釈然としない思いを抱えながら帰路につく、という旅を過去2回は繰り返している。

天河は、心霊世界とか精神世界の人にはパワースポットとして有名らしい。でも、私はいろんな人が言う
ようなパワーを感じたり何かをする、ということはなかった。その筋では有名という宮司の柿坂さんとも、
祭りでお見かけはしたけれど、何か積極的に話したことはない。どちらかと言えば、天河天河と騒いだり
ワークショップを開いて拝んだりする人を、ちょっと引き気味に敬遠している。自分のことを棚に上げて
言うと、天河には天河しかないのに、彼らは天河以上のものを求めているような気がして気持ち悪いのだ。

私は天河神社も吉野も修験道も信仰しているけれど、それは私が信仰しているという個人の問題であって、
他人をそれに巻き込んで一緒に拝みたい類のものではない。天河の神様がいるとしたら、だからこそ私には
個人での信仰という形をもって学ばせているのかもしれない。

私も天河にはとても惹かれるものを感じる。でも、天河はあくまでも天河であって、私には天河以上の
何ものでも天河以下の何ものでもない。天河は天河だ。
なぜだか分からないけれど天河神社にはとても惹かれるものがあって、11月末に吉野へ行く私は、できれば
吉野へ行く前後を使って天河に行きたいと願っている。でも「天河は縁がない人には行けない」という
言い伝えの通り、行けるかどうかは分からない。状況を見ないと宿の予約も気軽に入れられない現状だ。
前回、3月に行った時もそうで、天川YHに電話したら私が行く日に限って宿が取れず、ひらめくものがあって
神社裏にある「びわ」という宿に電話したら今度は取れた。行ってみたら、なんと泊まり客は私だけだった。

天河に行くと、何か釈然としない思いをすることが多いのである。不条理というか、どうしてなのか自分で
さっぱり分からないのに、なんだかよく分からない結果だけがついて来る。さっぱり解けないなぞなぞを
かけられているような気分になる。こちらが気持ちを入れてエイヤッと天河をブン投げたら、ふわりと
かわされて気づいたら自分が地面に叩きつけられているような「アレッ?」と思うことばかりである。

はっきり言って、天河に気合いを入れていくとロクなことがない。いつも分からないなぞなぞを問いかけ
られて「うん?」と首をかしげているうちに天河で過ごす時間は終わってしまう。そして、釈然としない
思いを抱えながら下山することになる。でも、吉野に行く時は天河にも、と次の機会にはまた思うのである。

ここが田舎なのか都会なのかも、私にはよく分からない。田舎といえば田舎だし、都会といえば天川は
ずいぶん都会である。ここが都会か田舎か、という問いかけすら天河には無粋なのかもしれない。どっち
でもいいことなのだ。

もし縁があるのなら、どんな偶然が重なってでも行けるのだろう。私が初めて天河に行った時のように、
「天河に呼ばれたとしか思えない」ような天河行きを経験する人が、天河神社のシンパには多い。信じられ
ない話だけど、突然の啓示を受けて真っ直ぐ天河を目指す人、どう考えても取れないはずの指定券が
取れちゃったりして「こりゃ、天河に行かなきゃ仕方ないだろう」と、背中を運命に押されるようにして
天河へ来ちゃった人が、ここはすごく多いのだそうだ。

だから、天河に行きたい時は無理しないことに限る。天河が呼べば、どんな悪条件が重なった状況だろうと
行くことになるし、呼んでいないのに無理やりこっちから「行きます行きます!」と思っても、あんまり
実りある天河行きにはならないのだ。それどころか天河に行き着けない場合すらある。天川川合の峠を
越えても、そこから先が雪で引き返した話すら聞く。行けない時はどうしたって行けないし、行ける時は
何があろうとも行けてしまう、という変な神社なのだ。私はパワースポットとしての天河の力が直接分かる
わけではないけれど、この土地に神様はいるのか、と考えたら、どう考えても「いる」としか答えられない。

私が天河に行った過去2回は、2回とも資金的にギリギリの状態で行ってきた。どう考えても行けたのが
不思議なくらいお金がなかったのだが、結局なんとかなって行けてしまった。

天河に行く時は、どこかで何かをギリギリに追いつめている状況のようだ。過去2回はどちらもそうだった。
最初に行ったときは、天河から帰った2週間後に自殺準備状態に陥ったような精神的に追いつめられた状況
だったし、2回目の時は今思うとどうしてアトピーの症状が強く出なかったのか不思議だ。8月に旅行した
時には一週間草津を離れるだけで身体が限界だったのに、もっと重症だった3月の吉野・天河行きの間は、
不思議なことに一週間近く草津を離れても平気だったのだ。吉野で断食して、天河に行ってから、その
足で帰りに上田へ行ったのが、移住を意識しての上田とのファーストコンタクトだったことを思い出す。

もちろん、意識してそういう行程を組んだのだし(だから、2回目は無理やりこっちから頼み込んで天河に
行ったようなものだ)、それだけ上田とのファーストコンタクトに私は賭けていたのだ。これでダメなら
他にどこに住もう、ということを考えている余裕は当時なかった。当面は草津に住むことに決めた今だから
言える話だけど、移住候補地として上田を選ぶ目途が立ったことが、その後湯治を続けていく上で精神的に
どれだけ励みになったか分からない。

天河には最低3回は行かないと分からないよ、という話も聞く。私は、次回行くことがあれば3回目。
果たして、解けないなぞなぞの解が分かる日は来るのだろうか。
| SHO | 修験道 | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする

この記事のトラックバックURL
http://ranjo.tblog.jp/trackback/54409
トラックバック