藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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斉藤一好『一海軍士官の太平洋戦争』
今、旧日本海軍の士官だった、弁護士の斉藤一好さんが書かれた『一海軍士官の太平洋戦争〜等身大で
語る戦争の真実〜(高文研)』を読んでいる。それと並行して豊田穣『四本の火柱〜高速戦艦勇戦記〜』
も読んでいて、さらにその前には豊田穣『マレー沖海戦』も読んでいる。もう一冊、手元には江畑謙介
『軍事力とは何か〜日本の防衛を考えるために〜』もある。

ここ数日の私の記事を読まれた方は分かるように、私の元の職業はプロの航海士だ。商船高専時代は
かつての海軍を連想させるような就学環境で学び、船乗りをリタイアした今も、その環境を選んだことを
後悔したことはない。このブログ、そしてブログ開設前のホームページを『藍青』と名づけたのは、私が
かつて乗り組んでいた練習帆船『日本丸』の船首像の名に由来している。

さて、この本は、著者が日米開戦を連合艦隊旗艦『長門』艦上で迎えてから敗戦を太平洋上の潜水艦
『イ四〇〇』で迎え、さらに終戦後に弁護士として数々の事件に携わった経歴をたどった自伝である。
この中には、開戦から敗戦に至るまでのさまざまな作戦に参加して感じたこと、見聞きした生の
戦場の有様、どんな指針の下に作戦をしていたのか。そして戦中戦後を通じて今はどのように
太平洋戦争を振り返っているのかが書かれている。

まず、開戦当時に著者が乗り組んでいたのは戦艦『長門』。開戦時の連合艦隊旗艦であり、現存する
ならばぜひ私が見学したい艦船のひとつある。残念ながら、連合艦隊所属艦船で現在も見学可能な
状態で保存されているのは横須賀にある日露戦争当時の連合艦隊旗艦・戦艦『三笠』しかない。それは
さておき、開戦前日の午後四時に総員を後甲板に集めて艦長から開戦の訓辞があった時、著者は怖れ
おののいたという。

興味深いのは、この時の長門運用長が「君たちは早く結婚しなさい」と言っていること。なぜなら、

日本が米国と戦って勝つ見込みはない、日本がアメリカを屈服させるためには、
日本軍をアメリカ本土に上陸させねばならないが、そんなことは不可能であるから。


からだ。また

海軍には、勇者は家庭をかえりみないで任務に当たるものだという者がいるが、
それは誤りである。真の勇者は家庭を愛し、その上で後顧の憂いなく奮闘するものである。


とも言っている。前者は常識論として「なるほど」と思うが、興味深いのは後者。旧海軍に「勇者は
家庭を顧みないで任務に当たるものだ」と言っていた人がいる(旧陸軍でも同じだろう)のを読んで、
深く納得するところはないだろうか。旧軍の悪しき伝統は、家庭をおろそかにした就業形態への意識の
甘さという形で、今も日本の社会に深く根づいているのだ。

戦後、反戦運動が大きく巻き起こっている。しかし、自衛隊に反対した人にも、家庭を顧みないで働く
ことが美徳だと言う価値観で働いてきた人、あるいは上司として部下をそのように働かせてきた人は
数多いのではないか。表面的な日本の自衛力の整備には反対しても、旧軍隊と同じ価値観が今なお
生き続けていることを日本の社会は意識しているのだろうか。

また、先の長門の運用長は

日本海軍は米海軍と比較して、戦術的には優れているが、戦略的には劣っている。

とも述べている。短期的なその場その場の戦いには強くても、長期的にどう戦えば勝ち目があるかという
研究がなされていない、という意味であろう。これは、現在の日本の防衛計画に私が感じることでもある。
三万キロに及ぶ日本の海岸線とその大陸棚の、どこに日本が死守しなければならない天然資源と領土があり、
それを脅かす対象は何で、どのような方法で脅かされており、どのような形で防衛するのかという視点が
なく、ただ闇雲に隻数を減らして大型艦船でシーレーンを防衛しようとしているように見えてならないのだ。

また、連合艦隊の行動が石油の無駄遣いではないか、という批判に対して「君は山本長官を批判するのか」
とケプガン(士官室の先任者)にたしなめられた、という話も、日本社会に今なお息づいている伝統と
かぶりはしないだろうか。上官が決めたことに思考停止した状態で従うことをよしとする伝統と、似た
ようなことが数々の社会問題を引き起こしているのではないか。

私もかつてはバリバリの制服族であり、厳然たる階級社会の中で働いていた。階級社会では上官の命令は
絶対だが、例えば安全運航を脅かす上官命令が発せられたとしたら、士官として従うべきは安全運航を
守るためのGood Seamanshipであって上官命令ではない。士官とはそういうものである。士官には高い
倫理性が求められており、高い倫理性を備えているからこそOfficerと名乗れるのである。事件や事故が
起これば責任を問われるのは船長と現場のResponsible Officer(責任者・この場合は当直士官)であり、
だからこそ士官には最下級の士官であっても広範な権限と良好な待遇が与えられているのである。

私は士官として発揮すべきリーダーシップについてそのように教育されてきたけれど、私が仕えた船長の
中には「船長が白といえば、たとえ黒いものでも白なんだ」と言い放った人も中にはいた。旧海軍の
エピソードを読むにつけ、昔も今も両方の人がいるのだな、と思わずにはいられない。

士官とは階級社会でのエリートだが、商船高専以外の日本の教育機関において(私の通っていた大学も
エリート大学のひとつだったのだが)、私は「エリートとは何か」という教育を受けたことはない。広範な
権限を持つべきエリートの予備軍が、エリートとしての精神教育を受けずに社会の中枢に送り込まれるとは、
本人にとっても日本の社会にとっても不幸なことである。日本社会で起こる様々な不祥事の、本質的な
原因は「エリートに要求されることは何かを知らない人が、エリートとして人の上に立つ」ことにある。

エリートとしての精神教育とは、「人の上に立つ立場として身につけておかなければならない倫理性を
養う教育」のことである。職務上の大きな権限を持つ人間として身につけておかねばならない2つの柱は
「高度の職業能力」と「高度の倫理性」である。どれほどの職業能力を有しようと、高度の倫理性を
備えない人間にエリートたる資格はない。少なくとも、私はそう教えられているし、そう思っている。

つづく
| SHO | 海事 | 09:00 | comments(1) | - |

コメント
小型船舶で遊んでいます。ネットで漂流していたらこのブログを見つけました。亡くなった祖父が海軍の下士官で、よく海軍の話など聞かされていたので、士官のあり方やエリートのあり方など、共感できる部分が多いです。
| tongari | 2011/11/23 1:32 PM |

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