藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
CALENDER
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECENT COMMENTS
+RECENT TRACKBACK
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+LINKS
+PROFILE
+OTHERS
旅愁を誘われる音楽
今、鈴木祥子の『Long Long Way Home』を聞いている。その前はenyaの『The Celts』。旅に出たい。
旅先と言ってもいい場所に住んでいるのに、まだ足りないのかと我ながら思うが、旅に出たいものは出たい。

インターネットで鈴木祥子について検索していたら、こんなサイトにヒットした。『Long Long Way Home』
について、こんなコメントが載っている。

鈴木祥子は旅する音楽家である。べつに各地を旅行しながら音楽活動を行っているという意味ではない。
つねに旅人の視点、あるいは旅する精神の持ち主とでも言ったらいいだろうか。そもそも人間には2つの
タイプがある。共同体の一員であることにこだわる村人型と、ひとつの共同体に安住できずに(本当の?)
居場所を常に探し求める旅人型。はっきり分類できるわけではないが、皆それぞれにどちらかの傾向をより
強く持っているのではないか。言うまでもなく、鈴木祥子は後者であろう。


そうなのだ。私が1990年前後の鈴木祥子の歌を好きなのは、彼女は旅人の視点で歌を書いていたからなのだ。
おそらく、精神的な意味で彼女自身が旅人だったのだろう。物理的にはひとところに定住していても、心は
常に帰るべき場所、安心して帰れる場所、精神的な安住の地を求めて彷徨っていたに違いない。

鈴木祥子の曲で、私が最も好きな曲のひとつに『モノクロームの夏』という曲がある。こんな歌詞である。

サイダアの泡のようなモノクロームの夏が行く 
つま先で履くサンダル 知らない路地へ迷い込む
いつか そっと
あの角を曲がれば会えるような気がした
日傘のレースの上 風が踊ってる
白い日差し 腕の中に溶けて
目を閉じたらふたりの肩越しに燃え落ちてゆく夕日
モノクロームの夏が逝く

天気雨通り過ぎて
古いピアノが懐かしい歌を歌う
あの角を曲がれば会えるような気がした
時が止まる場所で今も笑ってる
夏を止めて 永遠の中に
透き通ったフィルムに焼き付けて 会えなくなる前に
モノクロームの夏が逝く


メロディと一緒に聞くと、目の前に懐かしい情景がいくつも浮かんでくる。それらは甘くて切なくて、
でももう二度と返っては来ない。私は、いつもそんな風景を求めて旅を続けているような気がする。
おそらく、たどり着く場所などないのだろう長い旅を。

同じように私を惹きつけてやまない曲がenyaの『Storms in Africa』。アルバム『Watermark』に収録
されているバージョンでは歌詞がはっきり聞こえないが、シングル盤『The Celts』に収録されている
part 兇箸いΕ弌璽献腑鵑任浪了譴はっきりと聞こえる。こんな歌詞である。

Though I walk through warm sands in Africa
winds will grow soon to storms in Africa.

How far to go I cannot say.
How many more will journey this way?

Dark skies fall on black earth and ivory.
Far from your sun clouds now close over me.

How far to go I cannot say.
How many more will journey this way?

Storms have come!
Rains wash the earth away.
Dark skies fall down into another day.
Rains have now come from storms in Africa.
Time will go on through storms in Africa.


サビの部分で繰り返されているのは

How far to go I cannot say.
How many more will journey this way?


と言う言葉。日本語では

「あとどのくらい遠くまで行くのか私には分からない。
この旅は、あとどのくらい続くのだろう?」

と言う意味である。まさしく、今の私もそんな気持ちだ。今もそうだし、昔もずっとそうだった。

物理的に帰る場所はあっても、私には精神的に帰れる場所がない。孤独な一人旅がいかにつまらない
ものか思い知るために旅しているようなものだけど、どのくらいその旅が続けば終わりが来るのか
私にも分からない。伝説の『さまよえるオランダ人(Flying Dutchman)』では、不老不死のさまよえる
オランダ人船長は最後に「永遠の愛を捧げる女性と出会うこと」で救われる。救われるとは、救済を
放棄すること、そして死ぬことを許されるということなのだが、まさしく、死ぬこととは私にとって
救われることと同義だ。あとどのくらい生き続けなければならないのだろう、と思うことほど深い
絶望はない。平均寿命まであと50年?考えただけでゾッとする。生き続けなければならないのなら、
50年も永遠も今の私にとっては同じだ。

『さまよえるオランダ人』のことをモチーフにして歌を詠んだことがある。歌の出来が良くない、と
いうことで新人賞の応募作としてはボツになったのだが、心の中を叫べば叫ぶほどいい歌が詠めない
とは、いったいどういうことだろう。それでも私にとって繰り返し詠まずにはいられないテーマである。

『Storms in Africa』には思い出がある。私の一生を決定づける出来事のいくつかがアフリカで起こった
ということもあるし、この曲を聞くたびに、私の脳裏にはSail Osaka '97という帆船レースで見た、
佐多岬沖を疾走する帆船の群れがありありと浮かんでくる。私の人生の中で、最良の思い出をひとつ
挙げろと言われたら、このレースだろう。練習帆船『海星』のトレーニーとして参加したこのレース
こそが、私の今までの人生で最良の思い出なのである。
| SHO | 音楽 | 01:18 | comments(0) | trackbacks(1) |

コメント
コメントする

この記事のトラックバックURL
http://ranjo.tblog.jp/trackback/52052
トラックバック
Shoko Suzuki
Tori Amosと並行して、私が好きで仕方のないアーティストが鈴木祥子さん。 彼女の音楽との出会いは1992年。ちょうどBAY-FMのゲストで彼女が 初期ベストアルバム「Harvest」(1992)について話しているのを聴いたのでした。 シンガーソングライターとして、マルチプレ
| ひかりのしま | 2005/10/21 9:13 AM |