藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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谷村志穂『結婚しないかもしれない症候群』
1990年にベストセラーになった谷村志穂の『結婚しないかもしれない症候群』を
読んでいる。中身は20代から30代の結婚していない女性たちの生態のノンフィクション。
「独身女を襲う深刻な住宅事情」「保険という名の麻薬にすがる」「不倫の結末」
「猫という”彼”と暮らす」「Hanakoさんのワガママな結婚願望」「家が結婚の
邪魔をする」「子供だけは生もうと決意したとき」「男の子たちの症候群、そして
私たちの未来」と言う章立てでショッキングな内容が分かるが、読んでつくづく感じるのは

「これって、話をそのまま”男性”に置き換えても同じだよなぁ」

ってこと。15年前の男性はどうだったか分からないけれど、2005年に30歳を目前に
している独身男性としては、自分たちが現実に今抱えている悩みと同じことを15年前の
30歳前の独身女性が書いていることに「結局、いつの時代も同じじゃん」と感じる。

先日、両親と大喧嘩した時に私は『傷つきたくない症候群』だって父に言われたのだが、
それは両親の世代の『モラトリアム症候群』とよく似ているんだとか。同じ問題が違う世代で
繰り返されていて、名前が『モラトリアム症候群』『結婚しないかもしれない症候群』
『傷つきたくない症候群』とその年代で変わっているだけじゃないだろうか。
とても乱暴な言い方だけど。

この本の中には、結婚しないで子供だけ産むことを選んだ女性の話が出てくる。私の知って
いる人の中にもそういう人がいるし、谷村志穂と同じ世代で結婚していないアーティストの
音楽も聴いている。そういう人たちのエッセイも読むのだが、今の彼女らのエッセイを読んだり
音楽を聴いて、私は彼女らの現在の作品に敬意を払うことがどうしてもできないでいる。
人間として、何か足りないような傲慢さを感じて仕方ないのだ。彼女らと同世代の女性で
結婚していない友人や離婚して子供を育てている知り合いも私にはいて、私は彼女らに
関してはとても尊敬しているのだけれど。

私は、なぜ似たような生き方をしている同世代の片方にはどうしても敬意を払うことができず、
もう片方には敬意を払いたい気持ちになるのだろう。「自分の境遇を受け止めた上で
どう生きようか」と悪戦苦闘しているか否かなのだろうか。そう言ってしまうのは敬意を
払えない人たちに対して大いに失礼だけれど、私が敬意を払えない女性たちと言うのは
「私には生き方が魅力的に見えない人」なのだ。その人が経済的に自立しているかどうかと
その人の生き方が魅力的に見えるか否かは別の問題なのである。

私が嫌だなと感じる人たちは、みんな「現役」なのだ。女性としても社会人としても。
「誰にも迷惑をかけないで自分の人生に自分で責任を取っているわけだから文句ないでしょう」
と言われればその通りだ。むしろ私自身の方がよほど自立できていない30歳前なので言われると
ぐうの音も出ないのだけれど、でも、どんな美人であろうが創造的な仕事をしていようが
40歳になれば立派なオバサンだ。いくら頑張っても肌のツヤは落ちるし小皺も出るのである。
そこで「どうしよう。私はオバサンになってしまった…」と言える人は魅力的に見えるけれど、
そんな自分を認められずに何歳になっても10代から20代、せいぜい30代前半の精神状態で
行ったり来たりしているように見える女性もいて、そういう女性は(男性も同じですが)
どんな美人な40代でも魅力的には見えないのだ。

この場合の「現役」と言うのは「自分がいつまでも若いと勘違いしている人」と言う意味である。
「自分の年齢の実感がない人」と言い換えてもいい。自分はそういう40代にはなりたくないな、
と思うのだ。10年後も青臭い夢を追いかけているよりは「どうしよう。僕は40代のオジサンに
なってしまった!」とうろたえている方がずっといい。要は自己受容ができるか否かなのである。

竹内まりやに『心はいつでも17才(seventeen)』と言う曲がある。1番からだんだんと
描く年齢が上がっていって、「青春はこれからさ」と歌う「心はいつでも17才」が
時には25才、時には35才、そして最後は「でも、本当は本当は…本当は45才!」になって
終わるのだが、生々しくて聞いていられない反面、こんな風に自分の年齢をユーモア含みで
受け止められたら素敵だなぁ、とも思うのである。私は、いつまでも若くなんていたくない。
来るべき年齢が来たら(来るべき年齢っていつ?と言われそうですが、自分がそう感じた
年齢がその年齢なのでしょうね)ちゃんと年をとる人間でいたいのだ。

「30歳になって自立しようとしない人は、人間として何かが欠けている」と私は思う。
「自立」とは、この場合は経済的なことのみを指して言っているのではない。
精神的なものも含めて言っている。

現実には、私のように自立したくても現状ではできない人もいるわけで、そんな自分に
後ろめたい気持ちはすごく持っているけれど、今は物理的にできないわけだから
人の好意を受けたらいいのだと思っている。ただ、自分が将来、人へ好意を与えられる
ようになれば、その時は自分が頂いた好意を別の人(もしかしたら同じ人になるかも
しれないけれど)に与えようと思っている。それでイーブンではないだろうか。
この話は、古くから長距離旅行者の中では有名な話なのだけれど。

この本の最後の方にこんなことが書いてある。

「不安っていうのはきっと人間が生きている限り持ち続けなきゃいけないものなんだよね。
その不安をいかにとり込みながら楽しく生きていくのかってことがたいせつなんだもんね」


そうなのだ。そしてこんなことも書いてある。

「結婚していようと、していなかろうとも、何かがあれば人は十分幸せでいられる。
友だちや、愛や、音楽や、文学や、仲間や…。
そう考えると、<結婚しないかもしれない>というこのあいまいで所在のない立場が、
なんだかとってもゴキゲンに思えてきた。
どんどん欲ばりに、幸せな未来が考えられるような気がしてきた。」


私には、決してそうは思えないけどなぁ。むしろ、私は「自分の稼いだお金で生活が
できれば、それで幸せじゃない?」と言う自分自身の言葉の方に強い説得力を感じている。
| SHO | 晩婚 | 04:31 | comments(2) | trackbacks(0) |

コメント
はじめまして。
私もその本、何年か前に読みました。
確か男性バージョンもあったと思います。

私もまさに30代♀で精神的にも経済的にも
母親から全く自立出来てないオンナです・・・。

ていうか、不安と向き合うことが出来ずに病気になった
オンナとでもいうべきでしょうかね。

もっとも私には結婚経験ありで、だからこそ、
もう2度と結婚しないかもしれない、な訳で、
ちょっと事情は違うかもしれないですけどね・・・。


私も何かが欠けているから病気になったのかなあ〜、
と思いました。
| ちょびうさ | 2005/07/24 5:33 AM |

ちょびうささん、はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。

この本、10年後バージョンがあるのは知っているのですが、
男性バージョンもあるんですね。知りませんでした。

私も病気で今は自立できない状態なのですが、病気になって
自分に精神的な負荷がものすごくかかっていたことを感じます。
今思うと、自分自身の境遇を認めることが長い間できません
でしたね。どうしても働けない状態になって、初めてようやく
自分自身の置かれている環境を認めることができるようになったと
感じています。でも、私自身も、不安とうまく付き合うことが
下手なまま30歳を迎えようとしています。

欠けているのは欠けたままだとしても、なんとか経済的、そして
精神的に自立したいですね。そのためにも病気を早く一定の
ラインまで治したいものです。
| 西村一人 | 2005/07/24 6:53 AM |

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