藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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強みと人生
ストレングスファインダーを受けてから、寝ても覚めても「どうやったら、私は自分の暮らす土地を自分で決められる人生を送れるんだろう」と考えている。

もちろん北海道移住のこともある。でも、その後のことも大きい。北海道移住が決してゴールではないことは、自分でもよく分かっている。

今日の夜、講習を受けながら突然思った。私は会社に依存せず、居住地域に縛らない生き方で、なおかつ私の生来持っている強みを活かした生き方を選ぶべきだと。それが具体的にどういう職業を指すのか分からないのなら、それこそを模索するべきだと。

そして自分に問いかけた。「もし運命の扉が開かないというのなら、それをぶち破ってでも北海道に住みたいのか?」と。答えはyesだ。「もし運命の扉が開かないというのなら、自分でこじ開けるまでだ」と思った。

即答でyesと答えられるのなら、やるべきだ。それが私の生き方だからだ。

自転車〜バイク日本一周の時だってそうだった。自転車の日本一周を4分の3走ったところで中断した時の悔しさを、15年経った今も私は忘れていない。1998年11月に中断してから、バイクに乗り換えて2007年5月に再開するまでの間は、本当に挫折の連続だった。

せっかく入った大学は頭が足りなくて卒業出来なかったわ、せっかく手に入れた原付の事故で後遺症が一生残る怪我をするわ、挙げ句の果てに体を壊して4年も湯治するわ、ようやく手に入れた中型バイクは鹿に飛び込まれて廃車になるわ、およそ日本一周を再開できる状況ではなかった。

廃車になったカワサキKLE250アネーロの代わりに買ったヤマハFZ400で2007年に日本一周を再開し、翌年に湯治を終了し転職して四国に移住、2009年3月に念願の大型免許を取って現在の愛車ヤマハYZF-R6を買ったものの、今度は会社の休みが少すぎて北海道や沖縄まで行けない、と思っていた。

2007年5月の日本一周再開と並んで大きなターニングポイントになったのが、2010年5月の北海道ツーリング。5連休で宗谷岬まで往復は無理だと思っていたのだが、計算したらフェリー往復2日と道内3日で5連休でも往復可能という計算結果が出た。

ここで「道内3日しかない」と思うか「道内で3日走れる」と思うかの違いで、計算して実行可能と出たのならやってみようじゃないか!とやってみたら道内3日で知床と宗谷岬の両方に行けた。その後4年連続でゴールデンウィークは北海道に行っているが、往復フェリーというのはどうしても不満なので3年目以降は往路は青森あるいは八戸まで自走している。もちろん神戸から1100〜1200キロを1日で。

私が長距離を走れるようになったのは、人並み以上に少ない今の会社の休みで日本一周するためには、絶対条件として1日あたりの走行距離を伸ばす必要があったからだ。最低でも1日800キロを走れるだけの運転技術を身に付けなければ、日本一周することが出来なかったのだ。

私の達成した大きな旅のタイトルにはJR全線完乗と自転車〜バイク日本一周があるが、着手から達成まで同じ14年かかっていても、その中身や困難さは大きく違う。日本一周については、ありとあらゆる困難を全て跳ね返しての達成だけに価値がある。

20年近く思い続けて未だに実現していない北海道移住だけど(短期的には、大学時代のインターンで札幌に住んでいたことがある)、会社組織が移住を阻むのなら、他の方法で移住すれば良いのでは?

他の方法でとは、つまり居住地に左右されないで生きて行ける方法を考えるべきだと言うことだ。運命が扉を開かないというのなら、頭を使って知恵を絞って自分で扉をこじ開けるまでだ。

居住地に左右されない生き方と、自分のもともと持っている強みとの接点はどこだろう?

| SHO | 携帯から | 22:59 | comments(0) | - |

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