藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
CALENDER
<< February 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECOMMEND
+RECENT COMMENTS
+RECENT TRACKBACK
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+LINKS
+PROFILE
+OTHERS
次の旅
今日は朝から吹雪。昨日はそんなに夜更かししたわけじゃないんですが、朝起きると
すごく寒いし、なんだか身体は疲れているし・・・と言うわけでスキーは今日はなし。
窓の外を見たら吹雪いています。道理で寒いわけだ・・・。

2002年6月29日に、私は子供の頃からの宿願であったJR20000km全線完乗を成し遂げ
ました。子供の頃からの宿願を果たす、と言うことは人生において素晴らしいことで、
それはそれでとても価値のあることなのですが、ひとつの旅の終わりは次の旅の始まりを
意味してもいました。正確に言うと、私の場合は前の旅が終わってから3ヶ月ほど
何もしない時期があって、実際に「次の旅」が始まったのは2002年の9月からでした。
そして、今も「次の旅」の途中にいます。

旅の終わりはどこへ行くのだろう。と考えることは楽しい作業でもあるけれど、
苦しい作業でもあります。先が見えないからです。「この年齢にはちゃんと就職して
いたいなぁ」「この年齢には結婚していたいなぁ」「どんな仕事があるんだろう」
等々、考え始めると喉が苦しくなって絶望感に襲われてしまいます。絶えず年齢と
競争しながら人生を選び取っているからです。競争に負けてドロップアウトしたら
人生がどうなるんだろう、と言う強迫観念に常に追われている、と言ってもいいです。

人生の中で、たとえば結婚が遅くなったとして、あるいは昇進したりする競争に負けて、
競争社会からドロップアウトしたとして、それが「不幸」なのだろうか?と思うのです。

もちろん生物学的な意味では、特に前者は間違いなく不幸であるんですよ。でも、
生物学的な意味を除いて考えてみた時、やっぱりそれでも本当に不幸なんだろうか、
と言う疑問はやっぱり残ります。人生の中で、常に年齢に伴う強迫観念にかられて
生きることが本当に幸せなことなんだろうか?と言ってもいい。

例えば私は今年30歳になりますが、30歳になったら年収何百万かもらっていて、
結婚しているか、していなくてもステディーな関係の誰かがいて、もしかすると
子供もいるとする。30歳の人としては幸せのパッケージパックみたいですよね。

でも、それで私は本当に幸せだろうか?幸せの本質って違うんじゃないだろうか、
そんなことを思うんです。パッケージパックを手に入れたとして、生きていて
楽しいでしょうか?パッケージパックを手に入れることは、幸せのある典型的な形で
あって、それを手に入れることが幸せを約束してくれるわけじゃないでしょう。

今、私はアトピーを完治させるために仕事も大学も全て休んで治療に専念している
状態です。だから、先の基準で言えば、私はどう考えても「不幸」でしょう。
でも、もし病気にならなかったら、何歳になっても年齢と競争して強迫観念に
襲われたままだったかもしれないと思います。そんな生き方に無理が来て、ひずみが
広がってとうとう破綻したのが今の状態だと私は思っています。

今は「旅の終わりを予想することに意味はない。大事なことは今ここにいる旅の過程を
楽しむことだ」と思うようになりつつあります。そして、今ここにいる旅の過程を
楽しめる場所に住もう、と言うことももうひとつ重要なファクターになりつつあります。
だから自然の豊かな土地への移住が生き方の選択肢に入っているのです。

自然に囲まれた場所で暮らしたい、と言ったって、「どんな仕事があるんだろう」
「嫁の来る当てはあるんだろうか」「年収が減って旅行になんて行けるの?」
等々、考え始めるとすぐに喉の辺りが苦しくなってきます。でも、実はそんな心配は
あまり意味がない。

その心配は、結局何を心配しているのかと言うと「いい年して仕事も収入もないの?」と
言われたり、「早く嫁をもらって安心させろ」と言われたり、「貧乏でみじめな
思いをするんじゃないか」と考えたり、つまり「社会からドロップアウトした落伍者」と
(特に自分の親から)見なされることが怖い、と言うことだと(私の場合は)思います。

だから開き直れ、と言うつもりはありません。やっぱり怖いものは怖いのですから。
でも、他人の評価を気にして生きるよりも、自分はそれで幸せなの?と言う心の声を
大切にして生きた方が、結局は幸せになれる気がする。他人はこんなことを言うかも
しれないけれど、あなた自身はどうなの?本当にそれで幸せじゃないの?と思う。
あんまり考えて心配しすぎないことですね。

人生の中って、何かひとつの時期が終わってから、また次の時期が始まって・・・と
言うことの繰り返しですよね。このひとつの「時期」の単位を私は広い意味で「旅」と
呼んでいますが、私の場合「次の旅」の途中にいて、まだどこに住むことになるのか
さっぱり分かりません。でも、今生きている旅の過程を楽しむことがまずは大事
なのだと思います。
| SHO | Iターン | 13:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする

この記事のトラックバックURL
http://ranjo.tblog.jp/trackback/11865
トラックバック