藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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いじめ自殺について
最近、いじめ自殺がホットな話題になっている。

自殺予告の手紙が文部科学省に届いて大騒ぎになっているけれど、
私自身の経験で言えば、そうそう自殺はできるものじゃない。ただし
危険な状態にいったん陥ると、ほんのささいな心の揺れで自殺に
至るから厳重な警戒が必要だ。

識者から新聞などに「自殺に走らないで」という寄稿が寄せられていたり
するが、それらを読んで自殺を思いとどまる人などいるのだろうか。
私の心には、少なくとも響く文章はひとつもなかった。なぜなら「死なないで」
という結論ありきの寄稿ばかりだから。「自殺したい」という声を十分に
存分に聞くことなしに、そして「自殺したいんだ」という声に耳を傾けない
人が「自殺しないで」と語りかけたところで、なんの効果があるだろう。
識者がどう考えようと自殺したい人は自殺したい環境に置かれているのだ。
そのことにまず耳を傾けないで、どんな言葉が次に生まれてくるだろう。

私も大学時代に、本当に自殺の寸前まで行ったことがある。その経験から
思うことだけど、極限まで追い詰められた状態にある人というのは、
そうそう自分と異なる意見を受け入れられる状態にはない。そんな状態
なら自殺に追い込まれなどはしない。だからこそ、徹底的に「自殺したい」
という気持ちを聞くことがまず大事じゃないのか。

「自殺しないで」という寄稿によく見られるのが「かつては私もそうだった」
って文章。でも、自殺を考えている本人にとっては、過去がどうだった人の
ことなどどうでもいい。「あなたは今はそうじゃないんでしょ。だったら口を
挟まないでよ」って私なら思う。どれほど苦しかった過去のことを語った
ところで、識者の視点が識者自身の過去の傷に向いている以上は
自己満足に過ぎない。大事なのは識者の過去の傷をさらすことじゃない。
自殺しようとしている人が、その生の最後の力を振り絞って伝えようと
していることに耳を傾けることが、まずは第一なんじゃないだろうか。

いじめの加害者は殺人と同等の罪を犯しており、同等の処分を受ける
べきだ、というのが私自身の意見。自ら手を下さないだけで、いじめの
被害者の尊厳を踏みにじった上で一生残る心の傷をつけている。
どうしてそれが殺人に該当しないのだろう。そういう認識でいじめの
問題に当たっている教育関係者がどれほどいるのだろう。

いじめの加害者の問題は、それを取り巻く大人たちの認識が子供に
反映されていると考えるべきだ。「死なないで」なんて偉そうに言う権利は
大人にはない。「いじめなんか見返してやれ」というのも、そう言える人
だから言える言葉であって、自殺を考えるほど追い詰められた人に
とっては無責任極まりない。「死ぬほど辛かったんだね」と共感して耳を
傾ける以外に、大人にはどうすることもできない。結局は、大人が共感する
力を失っていることが、子供もまた人の心の痛みを思いやることのできない
社会を作っているんじゃないのか。

尾崎豊の「卒業」という歌の中で

先生、あなたもか弱き大人の代弁者なのか

って歌詞が出てくるけれど、残念ながら彼らもまた大人であり、私も
もはやいい大人だけど、やっぱり大人の代弁者なのだ。

自殺を思いとどまるよう教育することは、たぶんできない。1年間に大人が
多く自殺という形で生を終えることを選ぶこの時代に、誰が大見得切って
「生きろ」などと言えるだろうか。そんなことが言えるのは、今が幸せな人
だけだ。そこに「生きろ」なんてメッセージが伝わらない根本的な原因がある。

私が自殺寸前まで行って自殺せずに済んだのは、学校のカウンセラーに
「今の状態は極度にヤバい」とSOS(というよりもXYZ)を出したからだった。
そして、彼がどこまでも私の苦しみに耳を傾けたからだった。そのことに
感謝している…とは今もって言えないけれど、とにかく私はまだ生きている。

背負いきれないほどの苦しみを抱え込んでいる時は、苦しみを何らかの
形で吐き出すことが必要だ。一時しのぎには過ぎないかもしれないけれど、
とにかく一日一日を生き延びるだけで精一杯の時は、とても未来を夢見る
ことなどできない。そんな人に将来に希望を持てと言っても意味がない。

今だから言えることだけど、湯治している間だって私は何回自殺したいと
思ったか分からない。湯治するって、そんな甘いものじゃない。顔中、両肩
からも四六時中膿が出続けて止まらない状態で風呂に入っているのに、
「時間湯に行け」だの「時間帯をずらして入れ」だの心ない一般客に言われた
ことすらある。私は今はほぼ全快に近いところまで治ったけれど、私の回りには
今もってあと何年かかるか分からない不安に耐えながら湯治を続けている
人が大勢いる。将来に希望なんて持てずにその日その日を耐えながら
暮らしている彼らに、「そのうち治るよ」なんて私は言えない。そんな言葉は
無責任極まりない。

「いじめは殺人と同じだ」という認識を大人自身が持つことがいじめ自殺
解決への第一歩ではないだろうか。それができていない大人がいくら
「いじめはいけませんよ」と言ったところで説得力がない。上っ面だけで
きれいな言葉を並べ立てても、子供たちは大人の言葉じゃなくて背中を
真似して生きるだろう。
| SHO | 携帯から | 02:17 | comments(0) | - |

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