藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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死は孤独なもの
寂しい、と感じることが多い。

孤独から目をそらさないからしんどいのだ、と自分で思ったりもする。今のままで
突き進んだら、いつか本当に死ぬんじゃないか、とも。2回も3回も似たような
事故に巻き込まれている、というのは、「巻き込まれている」んじゃなくて私の
無意識が望んで事故を招き寄せているのだろう。私には、今回もまた「死に
直面しているのに、死に直面していない」という気持ちがある。死が本当に間近を
過ぎたのに、私には死に対する漠然とした実感のなさしかない。自分が「死」を
実感した時は死ぬ時なのだろうか。

事故の瞬間の記憶を思い起こしてみると、道路のガードレールの向こうに
カモシカが現れた瞬間、私はブレーキをかけていない。まるで呆けていたかの
ように。一瞬の後にカモシカが一気にジャンプして、ガードレールと対向車線を
飛び越えて目の前に迫った時、「ぶつかる」と思って「お腹にぶつける」と少し
ハンドルを左に切った。一瞬の後に、バイクはカモシカに激突した。

私は空中で縦回転した挙句、10m以上も飛んで道路から2〜3m下の土手に
背中から着地したのだ。ヒップバックとリュックサックがエアバック代わりになって、
先に着地したであろう体の右半身の肋骨に数本ヒビが入ったのと、後で着地した
のだろう左腕と左肩が痛んだ以外は全く無傷だった。すぐに起き上がって時計を
見て事故発生時刻を確かめるくらい冷静だった。

自転車もバイクも、私は怖いから乗っているのだ、いつか自分の命を奪うかも
しれない、スピードに対する恐怖感を持つ私にとっては危険な乗り物だから
乗っているのだ、という気もする。恐怖を克服するために。バイクに乗っていて
楽しかったことはたくさんあるけれど、怖くなかったことは一度もない。

でも、私の1mと離れていないところを猛スピードで「死」が通り過ぎて行ったのに、
私はまたほとんど全く無傷だった。そのことを考えると気が狂いそうになる。
あの時、もし死んでいたら私の周りの状況はどうなっていたのだろう。ありありと
いろんな状況がイメージされてきて、今度はそのイメージが頭から離れない。
でも、私は死に直面していても死を直視したわけでもなければ、死に現実に
直面したわけでもない。あと少しで私は現実に死ぬところだったのに。

私は一人だ。たとえ友達が何人いようと、家族がいようとパートナーがいようと、
絶対的な孤独からは逃れ得ない。人は個別に死ぬ。死ぬ時は、たとえ誰かを
道連れにしようとも本質的には人は一人で死ぬのだ。

私は潜在的に自殺願望があるのだろうか。先日、Wikipediaを見ていたら
カテゴリのひとつに「自殺した人」というものがあって、引き寄せられるように
見ていたら、だんだん怖くなってきて見るのをやめたのだけど、修験道の
修業の極限ぎりぎりまで死に近づくところに魅力を感じるのは、極限ぎりぎり
まで死に近づかないと見えないものを見たい、知りたいからかもしれない。

いつか百日回峰行をやりたい。死に近づくために。死に近づかないと
見えないものを見るために。すれすれまで死に近づいて、それでも見えるか
見えないか分からないくらいの何かを、私は知りたい。

その一方で、これだけ何回も死が間近を通り過ぎても無傷でい続けるのには
理由があるのだろう。何回遭遇しても生き続けている以上、私の潜在意識が
「死に近づきたい」のと同じくらい、ものすごく強力に「生きたい」と思っている
のもまた間違いないだろう。

レイキの伝授の時に、私のオーラの本質は「修行僧」だと言われたことがある。
真っ白い、光の柱のようなオーラなのだそうだ。
| SHO | 携帯から | 08:50 | comments(0) | - |

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