藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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明日はリーディング
久しぶりにマイパソコンからの更新である。5ヶ月ぶり。

う〜ん、実に快適。やっぱり使い慣れたキーボードは
いいですな。親指でも相当な速さで打てるのだけれど、
キーボードはほとんど考えるのと同じ速さで打てるので
スピードがぜんぜん違う。

明日、もう一度矢尾こと葉さんのリーディングを受けてくる
ことにした。この3週間ほどなんとなく気が乗らなくて
職務経歴書を書いていなかったのだけれど(パソコンが
ぶっ壊れていて書けなかった、という事情はありますが)
来週からいよいよ書き始めることになりそう。Officeを
実家で再インストールする予定なので、ほとんどこれで
復旧ということになる。ただし、これから半年間は
またパソコンがぶっ壊れてもWARDが絶対に使えないと
まずいので、予備機を確保する目的でW-ZERO3は購入する
つもりだ。これから半年は一生の正念場なのだ。

パソコンがぶっ壊れたこの5ヶ月間、まさか予備機として
持っていた京ぽんでこんなに長く持たせるとは思わなかった。
なんとか情報処理はしていたけれど、京ぽんの能力では
かなり限界が見えていて、パソコンでなら使えていた
一部のインターネットの機能を削減して使っていたことも
事実。この半年に要求される予備機としての能力は、
明らかに京ぽんの能力を超えたものになるので代替する
ことにした。

この3週間の感覚は、職務経歴書を始めるのがおっくうと
いうか、職務経歴書を書き始めるともう後戻りできないので
怖い、という感覚に近い。変化することをものすごく怖いと
感じる感覚がある。変化することが怖いと感じることを
自分に許可したから感じるわけだけど、その怖さに圧倒
されるほどだ。書かない理由ばっかり探しているようだ。

親密になればなるほど本当の自分を見せられない自分がいる。
ごくわずかな友人を除けば、私は今も昔もあまり自己開示を
しないしする必要も感じない。このブログではかなりの
自己開示をしているが、逆にこのブログは家族には教えて
いない。以前持っていたホームページは家族もその存在を
知っていたけれど、ホームページからブログへは何の
アナウンスもなく移行したので、ホームページのみしか
知らない読者の多くはブログに移行した時点で消滅したはず。

もっとも、これだけ自己開示している場を家族に読まれたく
ない、という感情が働いていることも確か。たとえば私と
私の姉はとても仲がよいけれど、お互いのプライベートに
ついては子供の頃からほとんど知らない。私は姉と姉の
旦那がいつどんなきっかけで知り合ったのか知らないし、
興味はあるけど、聞いたこともなければ聞く必要も感じない。
大事なのは姉夫婦がいつ、どこで知り合ったかではなく、
姉夫婦がうまく行っているのかどうかなのだ。

私は家族と過ごすのがあまり好きではない。うちの家族は
私が子供の頃、寄ると喧嘩ばかりしていたので家族旅行など
私にはもってのほか。一緒に外食するのも、私以外の人が
みんなで行ってくる分には良いけれど自分も行くのは
今もって好きではない。自分が自分でいられない場所と
いうか、そのままをさらけ出したら文句が降ってくるから
リラックスできないし、そんな痛い思いをするくらいなら
初めからひとりの方がいい、と思っている。

自分の中に無価値感が今も根強く残っていることは自覚
している。「好きなように振舞ってはいけない」「親の
意向と違うことをしてはいけない」という制限がかかった
子供時代だったことを思うと猛烈に腹が立つのだけれど、
今はもう腹が立っても良いんだ、と思う。かつては腹が
立つという感情すら封印していた。自分の感情を押し殺して
生きてきた期間が私は長かったのだ。

「本当の自分を見せたら嫌われる」という怖れは家族を
通して出来上がったもので、そうやっているうちに私は
他の人と一緒にいても楽しもうとはしなくなったし、
いつも冷静でいよう、いつも醒めた視線でいようと思う
ようになった。たとえばYOSAKOIを踊っても、踊りに
熱中できない自分がいるのだ。踊りながら醒めていて
熱中できない、というのはとても悲しく辛かった。

自分には生きているだけで価値がある、なんて言えるの
だろうか。そう言い切れる人がどれくらいいるのだろうか。
自分に対して生きている価値があると言い切れないのに、
どうして他人に対して生きる価値があるなんて言えるの
だろう。そういうことを思うのだ。

たとえば大きなバイクが欲しかったり(草津で使うには
アネーロで必要十分なんだけど、大型バイクを見ると
「いいなぁ〜」と思ったりする)、あるいは大きな企業に
勤めている友人を見たり、あるいは自分の夢を実現して
いる人を見ると羨ましかったり、それはどうしてだろう?
と考えてみると、他人に認められたいから、他人に認め
られることを通して自分の無価値感を補いたいから、
という構図が見えてくる。たとえば結婚だって、そういう
理由で結婚するなら違うと思うんだよね。第一に相手に
対して失礼だと思うし。

今もそうで、幸せになってなおさらに幸せになりたい
理由はと考えると、幸せとはベクトルが違う方向で、
もっと経済的に豊かになったら、あるいは社会的に
ステータスが高いといわれる立場になったら、もっと
自分を認めてあげられるようになるのに、という感情も
やっぱりあるのだ。それはあると認める。でも、おそらく
そういう立場になったらなったで自分を認められるの?と
考えると、そういう世界にいる限り、やっぱり上には上が
いるので認められないんじゃないの?と思ったりもする。

自分の心の中の痛みを感じてもいいんだ、と思うと本当に
痛かったりする。そちらにフォーカスしてみると、自分の
心の痛みを感じることがいかに恐ろしいことか。痛みを
感じないように感じないようにしていたことが分かる。
痛みを感じる許可を自分にしないと、とても感じきれる
ような痛みじゃない。

昔から、私は「お金、お金」と言って働くことが嫌いだった。
でも、その一方でよりお金の稼げる仕事を、と考えて生きて
きたことも事実。権力とかお金に対して嫌悪感を持ちながら
それに対する興味とか欲求もすごく持っている。本当は
私は見栄も張りたいし権力もお金も欲しいのだ。欲しい、
と言っていいのだと思う。もちろんやせ我慢にはやせ我慢の
美学があって悪くないのだけど、やせ我慢では得られないから。

ともあれ、明日はもう一度リーディングを受けてくる。
北海道移住と船乗りへの復帰に当たって、心の奥深くの動機を
知りたい、というのが理由。単に見栄なのか、それとももっと
大きな動機があって突き動かされているのか。職務経歴書を
書くに当たって、自分が主張したい点、なぜこの仕事で
なければならないのか、なぜ北海道で働きたいのかを明確に
したいのだ。
| SHO | Iターン | 03:17 | comments(0) | - |

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