藍青

〜晴れ時々日記〜 SHOがつづる短歌、旅行などなどの日記です。
香川県に住んでいるバイク好きです。愛車ヤマハYZF-R6の話も、書いていきます。
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1年前とは別人
今年の角川短歌賞を、京大短歌会出身の澤村斉美さんが
受賞した、らしい。「らしい」となっているのは確認した
わけではないからで、もう1年も短歌雑誌を買っていない。
そういえば、もう歌壇賞の応募時期かぁ。

澤村さんは私と同世代の大学短歌会の元主力メンバーで、
「全国学生短歌大会2001」の実行委員のひとり。彼女が
最初に短歌関係のメジャーな賞を取るとは。すごいなぁ。
東北大学短歌会時代の友人と「すごく嬉しいけれど、
心中穏やかじゃないなぁ」と話をした。どちらも本音。

私が昨年の歌壇賞を最後に短歌を完全に休止したのは
はっきり言えば短歌やっててつまんなかったからで、
自分の歌も周囲の歌も全く良いとは思えなかったし、
ある意味で所属結社の『心の花』にもついていけない
部分があった。それは今でもあるけれど。

1年前の私と今の私は全く別人だ。
今、履歴書に趣味を書くとしたらバイク、スキー、温泉と
言ったところで、昨年なら鉄道、短歌、スキーと言った
ところだったろうから、全然違う。このブログも昨年の
今ごろと今とでは全然雰囲気も話題も違うはず。住んで
いるのは相変わらず草津だけれど、草津に来る前と草津に
来てから2年が経過した今とでは、同じ人間でも中身と
いうかコンピュータなら基本ソフトが全く入れ替わった
くらいの違いはある。つまり生き方が変わったってこと
かもしれない。私を取り巻く現実が1年前とは全く違うと
言うことは。

私が当時、短歌に行き詰まっていたのは生き方に行き
詰まっていたというのと同義語であって、自分のために
歌を詠むのか、誰かに評価されたいがために、自分の
無価値感を埋めたいがために短歌を詠むのか分からなく
なっていた。周りの歌人の方々のアドバイスも何か自分の
欲しかった答えとは違っていたのだけれど、それは私の
内側に答えがあるからだと今は分かる。逆に言えば私の
内側にしか私の求める答えがなかったのだ。

じゃあ、今は生き方に行き詰まっていないのだろうか?
行き詰まっているかいないか、今はそういうことを全く
考えなくなったし、意識も全然しないし、生き方が行き
詰まっているのかどうか意識する必要も感じない。
現実に起こっている客観的な事態と、それを行き詰まって
いると判断するか否かは別の問題だ。行き詰まっていると
考えれば、いつまで経っても行き詰まっているのだろうし、
行き詰まっているかどうか考えることなんて、生きるため
にはどうでもいい、と言えば本当にどうでもいい。つまり
行き詰まっているか否かは自分の内面の投影でしかない。

今の私と来年の今ごろの私も、また全く違った人間だろう。
来年はおそらく北海道にいると思うし、なぜ北海道かと
言えば、私自身の内面の変化に伴って生きる場所も変わる、
ということに他ならない。自分の内面の変化に合わせて
環境も追従して変わっていくのだ。

内面を変えるためにはまず環境を変えることだ、というのも
真だと思うけれど、一方では、どんなに客観的な環境を
変えても、内面が変化しない限り内的な現実は変わらない、
というのも真だと思う。内面が変化すれば、客観的な環境は
変わらなくても勝手に内的な現実は変わっていくものだろう。

短歌の話に戻すと、「たかが短歌じゃないか。こんなもん」
と今は思っている。どうでもいいと言えば本当にどうでも
いいし、どうでも良くないと言えばどうでも良くない。
短歌が良く詠めることと、その人が幸せになることは全く
別の問題だ。結婚することとその人が幸せに暮らすことは
全く別の問題であるのと同じように。

名歌をたくさん残した過去の歌人の中にも、半径10km以内に
寄って欲しくない人はたくさんいる。そういう人とは勇気を
持って接触を避けることが肝心だ。自分は短歌を良く詠める
ようになりたいのか、それとも幸せになりたいのかをよく
把握することはとても大事な分岐点で、それを間違えると
短歌がいくら上手くなってもちっとも幸せじゃない‥という
ことになる。

それはそうで、短歌の賞を受賞することと本人が幸せになる
こととは、人生において全くの別問題なのだ。歌人としては、
短歌賞を受賞できるものなら受賞した方が良いに決まってる。
でも、幸せな人生を保証してもらうために、自分の無価値感を
埋めるために短歌賞を狙う、受賞するのだとしたら、受賞して
一時的に幸せにはなれても、本人が生き方を変えない限りまた
同じ現実が待っているだろう。短歌賞の受賞が永続的に幸せな
人生を保証するわけでは全くないだろう。

付け加えておくと、これは澤村さんが受賞したから書いている
わけだけど、私の脳裏に浮かんでいるのは何人かの過去の
受賞者であって、決して澤村さんじゃない。そして、ともすれば
自分の無価値感を埋めるために短歌賞への応募をしがちな
自分への戒めでもある。

結婚もそうなのかな、と思う。結婚したから幸せになれる
わけじゃないよ、というのはよく聞くことだけど(私は結婚
したことがないけど)、幸せになるために結婚するわけだけど
結婚したから幸せになるわけじゃない、結婚することがイコール
幸せな人生を保証するものじゃない、ってことは思う。結婚は
幸せになるためにするものであって、結婚が幸せな人生を
運んできてくれるわけじゃないと思うのだ。

独身でも幸せな人生を送る方法はいくらでもあるし、独身で
幸せになれない人が、結婚したから幸せになれるとは思えない。
幸せになるケースもあると思うけれど、それは結婚したことで
本人が生き方を変えたケースじゃないだろうか。結婚することと
幸せになることは別問題。誰かが幸せを運んできてくれるわけ
じゃない。自分が幸せになるんだ。そしてお互いに幸せになる
ために結婚するんだ。それを間違えちゃいけない。

私の場合、就職がそうだったな。たぶん他の人もそうだと思う。
1年前と比べて、今の私は正社員として就職していることも
大きな環境の変化だ。正社員として就職して、間違いなく私は
幸せになったと思うのだけれど、環境が変わった以上に私の
内面が変化しつづけている。正社員になったことは私にとって
大きな脱皮で、でも近い将来に再び大きな脱皮の時期を迎える
だろうという予感はあるし、脱皮すべき時期に脱皮することが
これからの人生にとって大事なのだろう。

独身でも幸せになる方法はいくらでもある、とさっき書いた。
そうなのだ。それに気づいたことがすごく大きかった。その
延長として結婚があるのなら、それはそれで嬉しいな、と思う。
それと同じように、幸せな人生の延長として短歌賞を受賞できる
のなら、私も受賞したい。
| SHO | 短歌 | 02:35 | comments(0) | - |

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